パワハラ相談の概要

<パワハラ被害者の方は何度か相談にいらっしゃる>

私の事務所に相談にいらっしゃるリピーターの方で多いのがパワハラ相談です。実際は、私が「それはパワハラになる」ということを上司に教示して提案して解決したり、すでに退職したりということで、パワハラは終わっているのです。それでも、自分に何が起こっていたのかということを確認したい(そして、安心したい)ということで、何度か面談をご希望されていらっしゃいます。料金も法律相談料に準じてお支払いされてゆきます。そして徐々に、いらっしゃる頻度が少なくなり、いらっしゃらなくなるという経過をだどることがほとんどです。

<パワハラ被害の心理面の症状の原因>

下の分析記事を参考にしていただきたいのですが、パワハラ症状で、心に現れる症状として、自責の念や自己肯定感の喪失というものが現れることが多いです。パワハラを受けているときに、上司から、「お前は無能だ」、「こんなこともできないのか」、「そのくらいのこと考えられないでは社会人失格だ」、「人間としてなっていない。」等と言われることを真に受けてしまい、本当にそう思ってしまうということらしいのです。

パワハラの本当に怖いところ、うつ病やPTSDになる原因は、ひどいことを言われて悔しい思いをすることではなく、自分がだめな人間だと思い込んでしまうところにあるようなのです

<非常識な上司の評価を真に受けて悩む被害者>

ところが、これも下の分析記事で詳しく述べたように、社会常識的に評価すると、大方の人間が、上司が無茶なことや常識はずれのことを言っているに過ぎなくて、「どうしてそんなつまらないことを言われて真に受けてしまうのだろう」と不思議に思うわけです。

しかし、パワハラの被害者は、「言われてもいないことでもやらなかったのは自分に問題がある。私が思いつかなかったことは私に問題があるからだ」と思い込んでしまうのです。また、パワハラで傷つく方は「上司から意味の分からない指示を出されて聞き返したりすると『お前は人間としておかしい』」という失礼なことを上司から言われても怒るのではなく、自分は発達障害かもしれないと悩んで心理検査を受けに行ったりしてしまうのです。

<パワハラ被害者に私がお話しすること>

私は医師でも心理士でもありませんので、治療や施療を行うことはしません。それでも、話しの中でうつ病の方が笑ったり、表情が柔らかくなったり、「肩の荷が軽くなった」と言ってくださったりしていただきます。私が何をしているかということを紹介します。

パワハラの被害者が私のところにいらっしゃるときは、皆さん損害賠償やコンプライアンスへの相談申立てや、労災申請などが漠然と念頭に置かれています。ただ、パワハラと言っても実際は程度の違いがあったり、症状も程度の違いがあったり千差万別です。パワハラだから何をするということが決まっているわけではありません。ご本人と話し合って、一番ふさわしい方法を選択しているということが実情です。

その選択の資料にするために、何が起きたのか、時系列に添ってお話ししていただくことは不可欠です。ご本人の体調次第ではありますが、時系列のメモを作っていただくことも多いです。ただ、これは苦しいことを思い出す作業なので、無理に一人お作業をさせることは慎重になる必要があります。

メモは不完全で構いません。抽象的な表現でも構いません。ただ、順番だけを気にしていただきます。そして、面談で、順番に添って一つ一つのエピソードを伺ってゆきます。

そして、そのエピソードについて私が解説をしてゆきます。ここで肝心なことは、「あなたは悪くない」というアバウトな気休めを言っても何も意味が無いということです。

下の分析記事でお話ししましたが、私の考えるパワハラの3要素は1)不可能を強いる、2)評価を下げる(これは様々な意味があります)、3)孤立させるというものです。

それから人間は群れの権威に迎合をする本能があること等から、パワハラ上司の言葉がまともなことを言っているように思えてきて、それを実現しなければならないように思い込んでしまうようになるということを説明していきます。

迎合しようとするのだけど、上司からは否定されるということは、ある意味不可能を強いられることであり、かなり精神が傷つくことです。この傷つきは人間の本能に起因することなのです。

次に、あるいは前後して、本来上司は「そういう場合どのように業務指示をするべきか」ということを労務管理とコーチングの視点から私が評価をしていきます。どの点が業務指示として成り立っていないか、稚拙なのか、通常の人間は部下としてその言葉でどういう風に判断するのかということを説明していきます。その結果不可能を強いることになるし、評価が下げられる不安が大きくなるので、ますます上司に従おうとしてしまうということを説明してゆきます。

ただ、部下としての本人の弱点もきちんと取り上げてゆきます。大体は、経験年数が低い、言葉を文字通り受け止めてしまう、真面目過ぎる、責任感が強すぎるということになることが多いようです。

つまり、善か悪か白か黒かという二者択一的な説明をするのではなく、相手の修正するべき点とこちらの修正すべき点をしっかりと説明するということです。

大体パワハラをしなければ業務指示ができない上司は、上司としての評価が下がりますが、心理分析を加えると、例えば子どもっぽい(ダダッタコというか)とか、「相手の気持ちを考えることができない人」だとか、余裕のない人という評価が妥当することが多いです。

こういう立派でもない人の話を真に受けていた、その通りにしようとしなければならないと思い込んでいた、馬鹿な考えを抱いてしまっていたということをしっかりと自覚していただきます。

なかなか一回だけで洗脳が解けるということはありません。1回目は、頭では自分の考え(自己低評価、自責の念等)がばかばかしいことだということは理解されるようです。これだけで苦痛はだいぶ緩和されるようです。しかし、十分腹に落ちるためには何回かの面談が必要なようです。少しずつ安心感を蓄積されていく感じです。

<精神科医、カウンセラーとの関係>

私のところに何度かいらっしゃる方は、精神科にも通院しているし、臨床心理士からカウンセリングも受けている(但し、精神科医と心理士は連携が取れている)方がほとんどです。私と面談していることも、医師や臨床心理士に伝えるようお願いしています。また、私が紹介する医師や臨床心理士にお世話になっている方も多いです。

ご本人から心理士や精神科医の施療の内容を教えていただくのですが、アプローチが全く違うことに気づかされています。心理士や精神科医は本人の問題として本人に働きかけて、本人の状態を改善するように働きかけるようです。私は本人の改善を目標とはしません。それは医師や心理士の領域のことだと思っています。そうではなく、本人を取り巻く人間関係の状態が、本来どうあるべきか、何が欠けていたのか、今後はどのように修正されるべきかということを本人と一緒に考えるという、人間関係の状態について考えるということをやっているわけです。

あくまでも、将来的に起こす法的手続きに向けた準備ということは間違いないです。但し、状態が良くならないために損害賠償や労働災害申請をするよりも、症状が消える方がより価値が高いということもアドバイスします。そして過去を何らかの形で清算する作業が不要となり、私へのご依頼が無くなっても、むしろそれが私の一番の収穫であると嬉しい限りです。



<料金と付き添い人歓迎のこと>

料金は相談方法と料金のページを参照していただければと思います。結局は所要時間によって料金が高くなってしまいますので、時系列メモを作っていただくことで料金がかさばらないし、私としてはお話もしやすいのでウインウインの関係になります。

また、若い人であればご両親と一緒に、そうでない場合はご兄弟やご友人、配偶者と一緒にお話をされる場合もいらっしゃいます。特に最初は、誰か信頼できる方と一緒においでいただいた方が良いと私も思います。

分析記事

パワハラの影響で多くの場合で出現する、体や心の異変 この状態が出たら行うべきこと あなたはパワハラに気が付いていない

1 パワハラを受けた時に出現する体と行動と心の異変

これまで多くのパワハラ事件(自死の労災申請、うつ病など精神疾患の労災申請、損害賠償、改善請求、継続相談)を担当してきました。(私の労災事件実績を参考にしていただければ幸いです。)多くのケースで共通する様々な異変について、先ず紹介します。すべての症状が現れるわけではありません

  • 体に現れる異変   体重減少。特に朝に吐き気がする、実際に出勤途中で吐く場合もある。朝目が覚めてもなかなか布団から起きられない。全身の倦怠感。頭痛。難聴。味覚障害。
  • 行動に現れる異変  いつもの時間通りに家を出るが、会社の近くでぎりぎりまで出勤しない。集中力が続かない。記憶が飛ぶときがある。注意力が著しく減少している。ルーティンのような趣味の活動をしたいと思わなくなる。推し活とか、定期的に購読していた雑誌に手が届かないとか。家族に八つ当たりしている。あるいは、休日は家に閉じこもりがちになる。
  • 心に現れる異変  自分が低いレベルの人間だと思う。自分は仲間に迷惑をかける存在だと思う。自分は世の中に不要な存在だと思う。何かを壊したい。自殺をする自分を想像してしまう。家にいても、不意に上司から𠮟責をされた時の感覚が突如よみがえり苦しくなる(具体的な出来事を思い出しているわけではない)。悪夢を見る。理由もなく何か悪いことが起きるのではないかと感じて敏感になる。現実感が無くなり、すべてが他人事のように感じる

これらの症状は、長年パワハラを受け続けて起きるというよりも、2か月程度のパワハラでも起きるケースが複数件ありました

2 パワハラで苦しむ人の多くに共通する正確

  • 1)真面目で正義感が強い
  • 2)責任感が強くて素直
  • 3)能力がある

本当は、会社に行きたくないのに、「会社には遅刻しないでいかなければならない。」ということを強く意識しすぎるわけです。体はもう限界で、何とかストップをかけようとしているのに、色々なアクシデントを想定して家を出ていきます。でも出勤したくないという気持ちが強いため、会社の近くのコンビニや自家用車の中で時間をつぶしてぎりぎりに出勤をするひとがとても多いです。
上司などから言われたことは遂行しなければならないと思います。これも当たり前と言えば当たり前のことなのですが、度が過ぎるようです。「できませんでした。」と言うことができないようです。「上司は自分のできることでは無ければ命じないはずだ」と無意識に思ってしまい、「できないのは自分が悪い」という発想になじんでしまいます。そして業務遂行能力があるため、無理なこともやろうとしてしまいがちです。

極端な話、「嫌なものはやりたくない」とか、「無理っぽいことはできないからやろうとしない」とか、「どうせ自分は能力が無いので、できないことはできない」とすでに割り切っている人は、同じパワハラを受けても、「また怒られちゃったよ。」と笑いのタネにしたりして、あまり気にしていない人は実在します。

能力があると、会社の無理なノルマも時間をかけても達成させようとしてしまうし、ある程度達成できてしまいます。上司は「この人の尻を叩けばセクションのノルマが達成できる」ということで、他の人よりも厳しく当たることがあるようです。

いずれにしても1)真面目で正義感が強い2)責任感が強くて素直。3)能力がある。という人は、過労死をする人に当てはまる特徴でもあります。会社は業績を上げる社員に対してパワハラをしてさらに苦しませていることをしているわけです。これでは生産性も低下していくことでしょう。

3 身体症状が出るメカニズム

頭痛、吐き気、朝に起きられなくなるその他の身体症状ができる理由は、身体(脳)が行動をストップさせていると考えられないでしょうか。例えば足首をねんざする(軟骨や筋肉繊維の挫滅)と、痛くて歩けなくなります。このおかげで歩かないでいると、足首が回復して歩けるようになります。ところが、痛みを感じないで歩き続けると、いつまでも負傷が回復しません。痛みは行動を止めて体を回復させる生きるためのシステムだと考えられます。

比ゆ的に言えば、心が負傷しているのに、その原因を繰り返そうとすると、回復できなくなることを恐れて、体のどこかに不具合を起こして行動をストップさせているように感じます。本来であれば、心が壊れそうなことはやらなければよいのですが、真面目で責任感が強く、「やらなければならないことはやらなくてはならない」という信念があると、弱音を吐くことができないし、不安を感じることも自分で拒否してしまうようなところがあります。少しずつ、不快や恐怖、不安を吐き出すことができないので、気が付けば体に異変が出てしまうということではないでしょうか。

体の異変は心が壊れつつあることを本人の意識に上らせるシステムだと考えます。

そしてこれらの異変は、パワハラ職場から退職などで離脱しても、適確な対応(治療や心理療法)を受けなければ継続してしまうこともありますし、自死に至る場合もあります。ここで書いた症状が出たら、できるだけ早く、あなたの状態を理解してくれる人に打ち明けてほしいと思います。

4 どんなことがあると心が壊れるのか

多くのパワハラのサバイバーから話を聞きました。ある時期、臨床心理学の研究者の方と合同で事情聴取をしたこともありました。まとめると以下のような場合に心が壊れるようです。
①不可能を強いられた時②仲間として低評価を受けたとき③孤立・誰も助けてくれない(回復の絶望)

①不可能を強いられるというのは、文字通りできないことをやれと言われた時ですが、それをやらなければ低評価を受けなければならない状態が待っています。例えて言えば、とても高い梯子の上まで登らされて、「雲の塊をつかんでもってこい、さもないと梯子を叩き壊す」と言い続けられているような感覚のようです。もちろん仕事上そのような命の危険があることは現実にはないし、無理な業務命令を出されてもそれだけで命を落とすことが無いにしても、まるで命を落とすような絶望感を抱いてしまうようです。

②上司からの低評価があると、「何とか低評価を改めてもらいたい」と自然に思うのが人間のようです。つまり、群れに所属していたい、群れから追放されたくないという心というシステムがあったために、人間は文明も言葉もない時代も群れを作ることができ、代々生き続け、今の私たちがあるということになります。そしてその心ができたころから脳は進化していないといわれているので、私たちの脳は200万年前から数万年の仕様のままなのです。しかし、その低評価が改められなければ、自分に対する低評価が改善されることはない、つまり絶望を抱くということになります。

③孤立は、仲間のすべてから低評価を受けているということですから、200万年前から数万年前の仕様の人間の脳にとって、死に匹敵する恐怖、絶望感を抱くものなのだと思います。自分の評価が改善されないという確固とした絶望感を抱かせる要因になると思います。

<会社だけの問題が世の中すべてからの問題だという錯覚>
それにしても、「これは、会社の中だけの話だから、会社にいる時間だけの信望ではないか。死ぬことに匹敵する絶望感は大げさではないか。」と思われる方もいらっしゃると思います。通常はそちらの感覚の方が一般的かもしれません。しかし、先の200万年前から数万年前の仕様の脳は、複数の人間関係を経験していないので対応していません。一つの群れでの出来事がこの世の中から自分は低評価を受けている、自分は世界から孤立しているという感覚を持たされてしまうということが起きているということなのだと思います。

5 実際の事件で起きていた、不可能、低評価、孤立

<不可能を強いる>
「知らないことをやれ」ということが本当に多いです。これは入社して日が浅い新人が過労自殺をした多くの事例で言われていたパターンです。「知らないこと」とは、教えていないこと、経験が乏しくて命じられた内容や遂行の方法を理解できないことが典型です。そのさらに不合理なことは、言葉にしていない上司の感情でした。「俺はお茶を飲みたいのだからお茶を持ってこい。」、「新聞を読んでいるときだけは話しかけてほしくないのだから話しかけるな。」、「このパターンの行動をしているときは、俺はこういうことをお前に期待しているのだからその通りやれ」。はたで見ていると怒りさえわくことですが、言われている本人は、それを知らなくてはだめなのだと思い込まされてしまい、上司の顔色ばかりを見るようになってしまいます。
「膨大な量を時間までにやれ」これも、確かに仕事はだらだらやるものではないことは間違いないですが、極限まで無駄を切りつめても時間オーバーになるようなことを強制します。時間オーバーの原因は、ベテランならできるけれど仕事に不慣れな新人のためにできない。例えば会社の車で移動をすれば時間通りに帰社できるけれど、会社の車を使わせないために時間通りに帰社できない、営業のように相手のある仕事のため、運不運があって、時間の見当がつかない。
「複数のことを同時にやれ」確かに職場によっては、例えば書類を作成しながら、接客をしなければならないこともあるでしょう。しかし、厳密に考えると複数のことを同時にやっているわけではなく、時間で切り上げて順番にやっているだけなのです。例えばラジオを聞きながら勉強すると言っても、ラジオに意識が向いているときは勉強をしていませんし、勉強に意識が向いている時間はラジオに意識は向きません。どうやら200万年前から数万年前の仕様の人間の脳は複数のことを同時に行うようにはできていないようです。自分の体の痛みすら、一番痛い痛みしか感じることができません。側部抑制というようですが、これはアリストテレスの時代から言われていることのようです。無意識にであれば、様々な情報を脳がキャッチしているのですが、意識に上るのは一つのことという人間の限界があるようです。
「何を言っているのかわからない。指示されたのかもわからなかった。言っていることが前と違う。」 「あれな、やっとけよ。」とか言われても「あれ」がなんだかわからず、軽い調子で言われたので、「それほど重要なことではないかな」と軽く流してしまったら、「なんでこれをやらないのだ。」と強く叱責され、入社時のエピソードまで穿り返されてみんなの前で馬鹿にされるというようなことも結構見られます。前は、「ほうれんそうは大切だからこういうことはきちんと上司にお伺いを立てろ」と言っておきながら、次に同じことを報告したら、「いちいちこんなことで上司の時間を奪うな。」と説教されるということも多いようです。
クレーム対応で会社の判断が必要であるにもかかわらず、会社が何も判断をしないためにクレーマーにさらされたままになっていたということもありました。

こうやって文字で書くと、実にばかばかしいことだと感じられるでしょうが、不可能なことをしなくてはならないという思いに駆られて逃げ場のない従業員は、徐々に初めから不可能だということを認識できずに、できない自分が悪いと自分で自分を責めるようになってしまいます。

<低評価>
低評価とは一言で言うと仲間として認めないということを本人に示すことです。
追放を示唆する言葉」「仕事をやめちまえ」「転職先を探してやる。」「君にはこの仕事は無理だったのではないかな」
「働く資格が無いという評価を示す言葉」「こんなの子どもでもわかる。」「俺の孫でも知っている。」「幼稚園からやり直せ」「給料泥棒」
「暴力」暴力は痛いから心が壊れるのではなく、仲間であれば健康を気遣われるはずなのに、一切気遣わないということを示されていること、暴力を振るわれても仕方がない奴だという意思表示が示されていると受け止めるから脳の仕様の問題で絶望を抱きやすいので心が壊れるのだと思います。「このノルマを達成しないとロープで縛って、7階の事務所の窓からぶら下げるぞ」等も実際にあった発言です。上司は冗談を交えて言っているつもりかもしれませんが、本人はそれ以上の恐怖を感じてしまいます。
「人格否定」本来すべてが人格否定ですが、仕事を与えない、親の悪口を言う、業務の遂行と関係のないことを非難される、差別侮辱的な言動等が典型なのでしょう。
「不合理な低査定」理由がある低い査定評価であればまだショックは小さいかもしれませんが、言いがかりのような低い査定の場合は、「いい加減な考えで、自分やその家族に対して不利益を与えても良いのだ」という低評価を受けている意識が強くなるようです。

低評価を受けるたびに、本人は、何とか低評価を改めてほしいと不可能なことを実行しようとさらに考えてしまい、ますます行き場がなくなってしまうようです。

<孤立>
上司から低評価を受けること自体が、200万年前から数万前の仕様の脳は打撃を受けるのですが、上司以外の仲間からも低評価を受けることに打撃が強くなるようです。
本人の脳は、「仲間から助けてもらいたい、フォローをしてもらいたい」という意識です。それにもかかわらず自死が起きた事例では、誰からもフォローが無かったという事例が多かったです。
不当だと思っているうちは、「上司のパワハラを誰かが止めるべきだ」という具合に要求度が高くなるようです。だんだんそのような怒りは消えてゆき、あきらめが優位になっていくようです。
他者の前での叱責は、孤立無援であるという意識を強めるようです。
そして、徐々に、他の部下も「その人を仲間として尊重しなくてよいのだ」という意識が生まれてくるようです。その人が尊重されない理由を探して、自分の同情心を抑えるという心の作業も行っているようです。当初は心配そうにこちらを見ていたのに、徐々にいつもの光景だと思うようになり、パワハラをされている方に対して、「いい加減に直せよ」という意識を持ってきてしまうこともあるようです。「人が叱責されていることを見たくない」という意識がやはりあるようなのですが、その原因を不合理に叱責されている被害者に求めていくようになるようです。
パワハラを受けている方は、パワハラを受け続けていくうちに、さらに孤立感を深めていくようです。
後で構わないから、「ひどかったね。」、「一方的だったね。」、「大丈夫か」という言葉あればどれほど救われたことかと思ったことは多いです。なぜ、かばうことができないのか。一つ言えることは、一人の人が叱責されていても、それが大勢の前で行われているときは、それを聞いている人たちも攻撃を受けているという意識を持ってしまうということがどうも起こっていように感じられます。

孤立は絶望感を深めてしまいます。自分の本能的要求がどうしても受け入れられないという感覚は、かなり深い絶望感を抱かせるようです。

6 本人や周囲がパワハラの影響に気が付いた時にすべきこと

<理解してくれる誰かに苦しみの状況を話す。>
あなたが苦しんでいること、苦しんでいる原因に会社での出来事があること、そしてその出来事が理不尽であり、人間に対する不当な扱いだということを理解できる人間にお話をしていただくことが第1です。
多くの人は、これまで述べてきたようなパワハラがあるとは想像もつかない人が圧倒的多数です。多少の厳しさはあるけれど、会社なのだから理不尽なことは無いという先入観から、「そんなことで弱音を吐くな」、「昔はもっと厳しかったぞ」ということを言ってしまうことがあります。これは客観的には、毛をむしられたいなばの白兎の傷口に塩をも見込むようなものです。パワハラの精神症状が出ている人は、病的に安心ができないという状態です。「自分たちはあなたを見捨てない」というメッセージを強く発信し、ガマの穂綿にくるませることが必要であるはずです。

ここで話を理解できる専門家とは、一つはパワハラの事例を多く扱ってきて、実際にカウンセリング的な対応を行っている弁護士です。但し、弁護士はカウンセリングそのものやましてや精神的治療ができるわけではありません。職場を離れても精神症状が消えない場合は、きちんとした施療が必要です。

ただ、セラピーなどは、あくまでも本人の状態を改善するということに主眼を置いています。何が起きたのか、それは気にするべきことなのか、客観的に合理性があるのかということについては、パワハラ対応ができる弁護士から説明を受けることが有益であるようです。だから、精神科治療や臨床心理での施療と同時並行的に対応されることが良いのではないかと思われます。弁護士に対して、医師や心理士から、その説明をすることは今は有害だと言ってもらえる関係にあることはなおよいことだと思っています。

ここでつくづく思うのは、「あなたは悪くない」としか言えない支援者です。あまり意味のある言葉ではないようです。むしろ何が起きたのか、それはどうして起きたのか、どこが不合理なのかということを理解してもらうことが、医師や心理士以外の支援者の役割なのだと思います。

その上で、家族が安心できるその人の人間関係であるならば、家族にも説明をして、理解を共有するとともに、家族から安心感を与えられていることを実感してもらい、安心の記憶を積みかさねていくことを働きかけることが有効なようです。

基本は、よく話を聞いてもらう、安心できる場所に我が身を置く、そして嫌な記憶を忘れるよりも、もう安全なのだということを少しずつ自分に定着させていくということなのだろうと思っています。