刑事弁護・自首の支援

情状弁護論 私の刑事弁護の基本姿勢  1 刑事裁判の「反省」 2 3つの反省の具体的内容と刑事弁護の目的 3 原因論としての犯罪環境 4 犯罪環境をどのように弁護に使うのか 5 私の情状弁護論と量刑

情状弁護論 (概説)
情状弁護で弁護士は何を主張するのか


1 刑事裁判の「反省」


有罪の被告人を弁護する場合を情状弁護と言います。無罪だという主張は無罪弁論です。私は、情状弁護が弁護人の活動の基本、屋台骨を形成するものであると常々感じています。
私が、被疑者や被告人の方に最初にあったときから、反省をしてもらうことをお話します。最終的には裁判の時にお話してもらうことなのですが、できるだけ早く問題提起をすることで、できるだけ深く考えてほしいからです。
反省というと、後ろめたいとか、落ち込んでいるとか、感情めいたことを述べるように考えている人もいますが、刑事裁判における反省は特別の意味です。
3つのことを考えてくださいとお話します。
1 自分の行為によって、誰にどのような迷惑をかけたか。あなたのお話を聞いて絵を描けるように具体的にお話してもらいます。想像ですから、本当は違っていてもかまいません。
2 そのように人に迷惑をかける行動をした原因をお話してもらいます。その時止めることができなかった原因として考えてもよいです。この点が今回のお話のメインです。後でまた詳しく説明します。
3 他人に迷惑をかけた原因を除去して、今後同じような間違いを起こさないために、どのような生活をしていくつもりですか。これも絵に描けるように具体的に、自分の言葉でお話しできるようにしてもらいます。

2 3つの反省の具体的内容と刑事弁護の目的

 人が犯罪を実行するのは、それなりの理由があります。それなりの葛藤もあるはずです。やってはいけないことをやってしまう原因、犯罪を行うことができた原因という表現にするとわかりやすいかも知れません。
 この犯罪の原因を除去ないし軽減し、再び犯罪を行うことをさせないことが刑事裁判の役割だと考えています。その意味では、刑事弁護はもっとも有効な特別予防となりうるのだと思います。
 この意味で、再犯の予防が目的ですから、先ず、違法性という言葉を誰にどのような迷惑をかけたかという問いに置き換えて、自分が行った犯罪が実質的に悪いことだということを感情を含めて納得してもらう作業が第1の反省になります。悪いことだと思わなければ、原因の考察も弱くなりますし、対策もいい加減になります。
 二つ目の原因論は、具体的な予防につなげるための考察です。網羅的でないとしても、具体的に考えてもらわなければなりません。一番ダメなのが、心が弱かったという原因論です。腹筋ではないので、心を鍛えることはできません。それよりも、夜に友達と集まったことが原因だという方が、夜は友達と会わないという具体的な対策につながりますので、まだ良いということになります。
 最後の対策論は、具体的な対策を話してもらいます。それを実行しなければならないので、心構えではなく、具体的な行動計画だということになります。

3 原因論としての犯罪環境

犯罪を実行した原因、犯罪を途中でやめることができなかった原因の分析が、裁判所での反省のメインの部分です。
ここは私の人間観なのですが、かいつまんで言えば、人間は、法律がなくても他人に害悪を与えない動物だということです。犯罪をしないのは、刑罰を恐れてではなく、他人に迷惑をかけてはいけないと思っているからだと思うのです。特に、社会によって守られているという安心感がある場合は、社会を敵に回すということはしたくないわけです。「交通ルール、守るあなたが守られる。」という標語は、私の主張にピッタリ当てはまると思っています。
ところが何らかの理由で、社会から守られていないとと感じると、社会のルールや他人への配慮ができなくなる。犯罪をすることの抵抗が小さくなってしまうのです。わかりやすいのが少年事件です。社会から孤立させられても、不良仲間の中に居場所を見つけてしまうと、仲間のための行動を第1に考えるようになります。社会から見れば、犯罪である対抗グループとのけんか、傷害事件も、仲間を守る行動だということになってしまいます。それが悪いことだからやってはいけないとは思いにくくなるわけです。
また、濡れ衣を着せられて会社を解雇された人が、だんだん社会に背を向けるようになるということもありました。
さらには、病的に犯行を繰り返す人の場合、冷静に物事を考えられないような、常に焦燥感を抱き続けている対人関係上の事情や考えの歪みがありました。また、他人の苦しみに共感できない事情がどこにあるかという観点からも犯罪環境を考えるアプローチも有効な場合があります。
このように犯罪の抵抗を小さくする事情、特にその人の生活環境を「犯罪環境」と呼んでいます。

4 犯罪環境をどのように弁護に使うのか

犯罪環境から抜け出すことが、再び犯罪を行わなくなるための有効な手段であることはお分かりいただいたと思います。
犯罪環境がどこにあるかを弁護士は被告人と一緒に考えることになります。3つの反省もそうですが、最終的な正解はわかりません。本人が犯罪を止めることで初めて分かるわけです。弁護士の仕事は、被告人と一緒に考えること、反省を手伝うことということになると思います。
犯罪環境を突き止めることは、このように二度と犯罪を実行しないことの有効な手段ですが、
もう一つの犯罪環境の使い方があります。犯罪環境に陥ったのは、本当に被告人の自己責任で完結してよいのかということです。それが他者の悪意によるものであれば、被告人一人に犯罪の責任を負わせることが故区である場合が出てきます。まして、国家の作為不作為によって、被告人が犯罪環境に陥ったのであれば、国家を代表して被告人を裁く裁判所が、国の責任を考慮しなくて良いのかという問題になると思います。

5 私の情状弁護論と量刑

犯罪の結果というのはあまり後に変化しません。しかし、被告人の再犯可能性が低下するということは犯罪実行から判決までの間に変化します。この点を説得力をもって、被告人の言葉で語ることができれば、実生活からの隔離の期間を定める量刑に影響力があることはむしろ当然のことです。
この理論は、私の頭の中で作った理論というよりも、これまでの刑事弁護での判決の量刑の理由を積み重ねて分析した結果なのです。どちらかというと裁判官の方々と一緒に作ったり論だと考えています。
ただ、量刑が一番の関心ごとであることは間違いないのですが、量刑のことばかり考えると、どうしても反省が形ばかりのものになってしまいます。量刑のことを忘れて、二度と刑事裁判を受けないような安心した生活を送るためにはどうしたら良いのかという発想になって刑事裁判における反省をしてもらうことで、良い結果はついてくるという関係になります。

有罪の被告人の弁護が弁護士の活動の基盤だと思っています。そこには法律家の人間観が試されていると思います。

資料としての情状弁護論 序、情状弁護はお涙ちょうだいか 第1章犯罪指数 (構成要件、違法、有責) <事例4> 第2章 規範意識 ボタンの掛け違いがいつ始まったか <事例5> <事例6> <本当に困った人の窃盗> <離婚のショックは男性のほうが大きい> <事例7> <子供の事件は辛い> <事例8> 規範意識の交錯 <事例9> 仮想社会の規範 事例10 事例11 <人を騙すコツと騙されない方法> <私のだまされ体験> <国家規範も絶対ではない 労働者の権利の話> <規範意識と犯罪環境のまとめ> 特別予防論 <弁護人が一番初めに話すこと> <情状弁護における弁護人の役割> <検察官の役割と実際> <国家政策と弁護士> <自分の犯罪行為の違法性の認識> <スーパーマーケットの万引き> 

情状弁護論(平成24年頃制作)

序 刑事弁護はお涙頂戴か

  司法試験に合格すると、実際に働くまでの間、司法研修所というところで、裁判官や検察官、弁護士の研修を行うことになっています。この時の身分を司法修習生といいます。NHKの朝の連続ドラマの「ひまわり」がこの司法修習生が主人公となっていたので、名前を聞かれたことがある方も多いと思います。
  私は、司法研修所第46期修習生ということで、戦後司法研修所ができてから46年目の修習生でした。私のときは、2年間司法修習生として研修をすることになっておりました(現在は1年)。2年の丸1年半は、各裁判所の所在地に行って、実際の裁判官、検察官、弁護士について、仕事を見せてもらったり、補助的な仕事を体験させてもらったりします。私は、仙台で、この実務修習を行いました。男ばかり15名が46期司法修習生仙台修習ということでした。特に真面目な者がそろっており、スキーやドライブ等遊びも熱心でしたが、勉強も熱心でした。自分が修習したことについて、他の修習生に報告して勉強会をやったり、裁判官に判例についてのゼミを開いてもらったりもしていました。飲み会でも自分の理想とする裁判官、検察官、弁護士について、話し合ったりもしていました。
  おそらく、そんなときだったと思います。ある同期の修習生が、「刑事弁護について、刑事弁論なんてお涙頂戴じゃないか。本当に必要なのか。」といったのです。毒舌で有名な者だったので、どこまで真意で言ったのか不明ですが、当然、弁護士志望の私としては、鋭く反感を持ちました。「そりゃあ違うよ。お涙頂戴で刑期が減るものか。」というくらいは即座に反応を示したとは思います。しかし、じゃあ、どこがお涙頂戴でなく、実際はどうなのかという、論理的な反論はできなかったという記憶があります。そのできごとが、修習生が終わり、弁護士になった後も、いつものどの奥に引っかかったとげのように、ちくちくと私を苦しめていました。
  弁護士になって15年を経た現在も、「これが正解」というものを答えられる自信があるわけではありません。ただ、この、のどの奥のとげと付き合って15年。1年当たり10件以上は刑事弁護事件を担当していますので、150件を超える弁護活動をしている計算になります。このあたりで、現時点での回答を出してみようというのが、拙著の目的です。
  同業の方々、裁判官、検察官の方々からは、大いにご批判いただき、今後の弁護活動の糧にさせていただきたいと思います。一般の方々にも是非読んでいただき、刑事事件で、弁護士は何を考えて、どんな弁護活動をしているか、裁判員裁判も始まったところでもありますので、是非参考にしていただきたいと思い、記述を進めることといたしました。
  なお、この本で紹介している事例は、すべて私が担当した実際の事例に基づいています。ただ、紹介する目的に必要な部分以外は、あえて事実を変えて紹介しています。

第1章 犯罪指数 (構成要件、違法、有責)
  犯罪というためには、構成要件に該当する違法、有責の行為であるといわなければなりません。大学の講義みたいになりました。先ず、刑法やそのほかの法律で、罰則付きで禁止されている行為だけが犯罪ということです。
  例えば、殺人罪という犯罪というためには、先ず、「人を殺した者」(刑法199条)という構成要件に該当しなければならないし、窃盗罪であれば、「他人の財物を窃取した者」(刑法235条)ということになります。例えば、不貞は、道徳的に許されないし、民法上裁判上の離婚原因や損害賠償の原因になりますが、犯罪にはならないのです。
  このように、人を殺した者や他人の財物を窃取した者という構成要件に該当する場合は、大抵は違法な行為ということになります。それでも、刑務官の方が死刑執行をした場合等、違法では無い場合がでてきます。違法性が阻却(そきゃく)されるといいます。正当防衛などもこの場合です。
  有責(ゆうせき)というのは、構成要件に該当する行為をした人に、刑事責任が問えるかという問題です。屋上の縁に立っている人を3歳児が押して転落させた場合、殺人罪となるのかということが分かりやすいと思います。精神病等で心神喪失の人が無罪となった報道も耳にしたことがあると思います。
  この点で、情状弁護で一番問題となるのは、違法性の問題です。違法性はあるかないかというだけでなく、幅のあるものだとの考えが有力だからです(可罰的違法性論)。要するに、100円のライターを盗むより、1万円のライターを盗むほうが、重大であり、違法性が高いということは実感としてご理解いただけると思います。100万円の小切手を盗むことがさらに違法性が高いということも一般的には賛成いただけると思います。ところが、構成要件は、すべて「他人の財物を窃取した者」となります。もっとも、窃盗罪の法定刑は、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金ですから、色々な違法性の窃盗罪に対応しているといってよいでしょう。
  弁護人の情状弁護で、先ず考えなければならないのは、この違法性を中心とした構成要件、違法、有責が、担当する事件でどうなのか、ということをアピールするかどうかだと考えています。
  それはどういうことか、事例1を紹介して説明します。
<事例1>
  被告人は30代男性。犯罪は、覚せい剤取締法違反第41条の2(10年以下の懲役)、覚せい剤の譲り渡しの共同正犯(刑法60条)。知人が、覚せい剤の売人で、顧客に覚せい剤を売り渡す時に、直接手渡ししないで、被告人のアパートの郵便受けに覚せい剤を置き、買う方が郵便受けから覚せい剤を取り、代金を郵便受けに入れていたという事例。被告人がこれ以上の関与をしたという証拠はありませんでした。
  
  この事件は、私が修習生として担当した事件です。実務修習生第1号の刑事事件でした。検察官が証拠請求をした刑事記録を読み進めるにつれて、どんどん途方にくれていったことを覚えています。というのも、この被告人がまるっきり反省をしていないのです。今回の事件を機に、暴力団幹部になると言い出す始末です。今にして思うと、被告人なりに、悪いことに関わったことは自覚しているけれど、共同正犯という自分が主人公として犯行を行ったわけではない、それにもかかわらず共同正犯とされたことに腹を立てて、反抗的な態度を示していたのかもしれません。
  気を取り直して起訴状を見てみると、私の指導教官の弁護士が、鉛筆でなにやら書き込んでいるのです。その書き込みを読んでいるうちに、意味が少しずつ分かってきました。例えば「60?」というのは、共同正犯ではなく、幇助犯(ほうじょはん 主犯の手伝いという意味)(61条)にとどまるのではないかということなのだろうかとかです。
  開き直って、構成要件、違法について、弁論要旨を作成しました。私の弁論要旨は、違法性の程度、有責性に関するものとして、営利を目的としていない(報酬を受けた証拠は無い)、積極的に譲り渡しに関与していない等構成要件が予定している最悪の事態では無いとうこと、一つ一つの譲り渡し行為については知らない(共犯の故意が無い)、共同正犯ではなく、幇助にとどまる。その他でした。かなり、長文の弁論用紙となっておりました。私の先生は、細かい記述は生かしていただいたものの、私の書いた弁論用紙の3分の2は、斜め線を引いて抹消されました。生かされたのは、3分の1ということになります。消された弁論要旨を見ると、自分でもすっきりしたなあという印象は受けました。残った部分は、幇助犯がとどまるに過ぎないというところと、報酬の授受が無いなど違法性の程度を画する部分だったと記憶しています。
  結果は、検察官の求刑が5年だったにもかかわらず、懲役3年の実刑、未決勾留日数もついて、ほとんど刑務所にいる期間は2年半くらいとなり、求刑の半分近くとなりました。幇助犯が認められたからでした。
  それでも、自分が担当した被告人が実刑(執行猶予が付かないこと)となって刑務所に行くということはショックでした。ところが、被告人は大喜びで私の先生に対して、「行ってまいります。」というのです。当時は、私は、そのことにとても驚きました。
  裁判所を出て、空を見上げると、どこまでも高い秋の青空でした。紅葉した公園の脇の歩道橋を上がりながら、私の先生は、穏やかに、「今日の判決は、満足するべき判決だよ。この秋空のように澄み切った判決だった。」とおっしゃいました。
  今、こんな判決が出たら、私は、小踊りして喜ぶでしょう。どこかで、本当に踊ると思います。画期的な判決であることがよくわかります。当時、刑事判決がいかに厳しいかということは分かりませんでした。共同正犯が否定されて幇助犯の認定になるということは、あまり望めません。修習生は、全く世間知らずで、いわゆる量刑相場についても、被告人の方がよくわかっていたということになります。検察官の論告が5年であればせいぜい減刑されて4年。そういう風に思っていたのでしょう。そうしたら、実質2年半ということで、「行ってまいります。」ということになったのだと思います。
  その後15年刑事裁判に関わってきました。情状弁護ということで、なんとなく情感に訴える弁護ということを考えがちですが、一番重要な情状弁護は、犯罪の、範囲、程度、あるいは大きさを画する、構成要件、違法、有責の問題が第1だという考えは、益々深まっています。異論は無いところだと思いますが、意識して落とさないことが肝要だと思います。

<覚せい剤の恐怖>
 覚せい剤事件で当番弁護士として呼ばれたときに、覚せい剤を使用した本人から、警察署の接見室で聞いた話しです。その人は、繁華街の交差点で、自分を迎えに来た自動車が来たと、覚せい剤の影響で幻覚を見たのだそうです。自動車は、黒塗りの高級車だったそうです。その人は自動車の後部座席に入って、シートに腰掛けようとしたのだそうです。もちろん自動車は幻覚ですので、実際はそういうものはありません。だから、座ろうとしても座れないわけです。何度も転びながら、何度も自動車に入りすわろうとしていたようです。繁華街でそんな目立つことをしていたので、警察が呼ばれ、職務質問を受けて任意同行ということになり、尿検査で覚せい剤が検出されたので、逮捕となったようです。
 こわいのは、ここからです。その人は、実は、自動車は幻覚であり、覚せい剤の影響で、ありもしないものをあると思っているにすぎないことについて、すべて自覚していたというのです。自動車が無いとわかっていながら、覚せい剤の影響で、自分を止めることができなかったというのです。これは、とても怖いことです。例えば、自分の恋人や、自分の子供だと分かっていながら、覚せい剤によって恋人なり子供が自分に危害を加えると思いこまされている、それは覚せい剤のいたずらの幻想にすぎないと分かっていながら、覚せい剤によって自分の恋人や子供を殺そうとすることを自分では止められないということもありうるからです。幻覚の自動車に乗り込もうとして転んでるだけなら気持の悪い話ですが、覚せい剤の影響で殺人となれば、みんなが悲惨な結末となってしまいます。覚せい剤の違法性について、自覚が乏しいなと感じたら、必ずこの話をするようにしています。
 覚せい剤使用者の顔は、初対面でも違和感があります。3週間位してから会うと、ああ本当はこういう顔だったのかと納得することがよくあります。ねじが2、3本外れているとか、オブラートにくるまれているとか、そんな感じです。
 おそらく誰しも、最初は、1回だけとか、すぐやめるつもりで手を出すのでしょう。しかし、酒の飲み会でも最初はみんなちょっとだけといって始めるのです。そのとおりになったためしはありません。そのちょっとが、命取りになるようです。残念ながら、違法な覚せい剤は蔓延しているようです。根こそぎ消えてなくなればいいと思うものの一つです。

2 人を殺す気持(殺意と殺人の故意)
  殺意、刑事裁判では、殺人の故意と言います。殺人の故意が無ければ、殺人罪とはならず、暴行の故意があれば傷害致死罪となり、暴行の故意もなければ、過失致死罪ということになります。
  どんな場合に殺人の故意があるというか。一般には、殺意といえば、人を殺そう、命を奪おうという気持だということになるでしょう。ところが、殺人罪の故意という場合、自分の行為が、人の死に結びつく危険な行為であることを知りながら、その行為を実行していることということになります。
  それでは事例2を見てみましょう。
 
<事例2>
  田園が広がる地帯で、線路から離れた集落に40歳代の男性と30歳代の被告人(女性)が二人で生活していました。隣家まで歩いて5分くらいかかります。二人とも喧嘩したり、仲直りしたりということを繰り返し、一緒にいたいという気持ちもありながら、いつも相手にイライラしているところもありました。イライラから、いつの間にか、手を出すようになり、被告人から見れば男から言葉の暴力、自分の親に対する非難をうけるようになったと感じるようになりました。暴力の程度も強くなり、顔にあざができて会社を休むこともありました。被告人は、睡眠不足や交通事故の後遺症で、定期的にデパスという薬を処方してもらい、服用しなければ眠れない状態になっていました。ある時、二人で焼酎のペットボトルを3分の1ほど空けた夜、男性の発言がどうしても許せないと思った被告人は、ヒステリー状態となり、寝室に戻った男を追いかけました。泣きながら部屋にあった図工で使うようなカッターナイフで、布団に入って寝ようとしていた男の顔に切りつけました。泣いていて、目も良く見えない状態で切りつけたので、カッターナイフは首に入り、危うく男は命を落とすところでした。被告人は、男の反撃にあって、伸びていたのですが、ふと我に返り、血が流れているので、男の怪我が重大であることに気がつき、119番をして、傷の手当をして待っていたというものです。男が一命を取り留めたので、被告人は、殺人未遂で起訴されました。

  本件では被告人は、殺人罪ということに一番こだわりました。自分は男の命まで奪おうとは思っていなかったというのです。カッターナイフが偶々首に当たったけれど、首を狙ってはいないというのです。話を総合すると、興奮していたし、泣いていて前が良く見えない状態なので、どこを狙ったわけではないけれど、敢えて言うなら頬を狙ったということになるらしいのです。ここは大事なところなので、警察や検察でも何度も聞かれています。だけど、確かに良く覚えていないようで、よく読むと曖昧となっており、その都度違うことをいっているようでもあります。
  どうして大事かといえば、首を狙って首を切ったというのであれば、人の命を奪うつもりは無いという言い訳は利かないでしょう。自分の行為が、人の命を奪う危険な行為という認識はあるということになります。そして敢えて実行したのだから、殺人罪の行為が成立します。一般的にもこのような危険な行為をしながら、命に関わる行為をしたつもりがないということが成り立たないようにも思えます。
  それでは、被告人のいうように頬を切ろうとしたというのであれば、どうでしょう。これは一概には言えないと思います。例えば、頬を押さえつけて、深さ1ミリ、幅3センチくらいの傷をつけても、残忍な行為ではありますが、人が死ぬような行為ではありませんので、殺人罪の故意は認められないと思います。傷害罪の故意では無いでしょうか。しかし、例えば、小刀をぶんぶん振り回して、ほっぺたあたりに切りつけたというのであれば、頬を狙ったといっても、首など血管や神経が集中している付近に切りつけていることになり、客観的には人を殺す可能性のある行為といえる場合が出てくるように思います。
  故意の考え方で、結果発生(殺人罪においては殺人)の認識認容がある場合に故意を認める考え方を認識認容説といい、裁判ではこの説に立って運用されています。これに対して、結果発生の意欲まで必要だとする説を意欲説と言います。弁護人は、認識認容説が実務であることは百も承知ですが、敢えて意欲説的な弁論をすることがあります。認識認容があっても、意欲は無いんだということで、故意責任の程度が重くないということをアピールする狙いもあります。
  事例2に戻りますと、客観的に首の辺りに切りつけたとみられる可能性が高いこと、傷の形状から確定的殺意があったと見られる可能性もあったことから、殺意を否定することは、反省をしていないというように裁判所から不利な見方をされる可能性があること等から殺人の故意を否認する弁護方針は危険でした。そこで、正面から被告人に、殺人の故意について説明し、一般の言葉と裁判の言葉は違うことを理解してもらうよう努めました。ただ、被告人が納得していると思えないので、確定的故意については否定しながら、殺意があったとしても中止未遂が成立すること、被告人の心神耗弱について主張をしました。
  判決では、確定的故意を認定したものの、被告人が119番通報をして傷の手当てをしていたことを取り上げて、減刑がなされました。

<デパスと公判前準備手続>
  実際は、事例2は高等裁判所の控訴事件でした。原審では集中証拠審理をして、裁判員裁判の準備と同様の手続きがありました。原審では、殺意の否認を真正面から主張されました。公判前準備手続は、公判で主張する論点を事前に開示します。そして、その論点のみが原則として審理されることになります。原審では、被告人もデパスという薬は、交通事故の後遺症のための薬だと思っていました。ところが、後に医師の診察を受けて、睡眠薬、抗不安薬として処方されてたことが告げられます。デパスは、緊張を緩和する薬です。首筋が緊張して硬直すると痛みを感じやすくなるので、むち打ち症等にも処方されます。また、緊張すると眠れなくなるので、デパスで緊張を解いて眠るという効果も期待できます。実は、男の家庭内暴力が激しくなるに連れて、デパスの服用頻度、服用量が増加していったということが医師が明らかにしたことでした。そこで、本件は、ドメスティックバイオレンスを背景とした事件であり、心神耗弱化で起きた事件だと主張しました。検察官は、原審の事前準備でそのような主張をしていないのだから、控訴審においても主張は許されないというのです。結果鑑定などは採用されず、この主張は排斥されました。しかし、事前準備で主張しなかった中止未遂で減刑となったので、事前準備と控訴審の関係は、まだまだこれから明らかにされなければならないことだと思う次第です。
  それにしても、薬が被告人に処方されている場合、医師に確認する必要があるなあと実感した事件でした。身近に医師がいるということは、弁護人として恵まれた環境であります。

3 刑法の定める黄金の架け橋(中止未遂)
  刑法43条但し書きは、「自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減刑し又は免除する。」と定めます。必ず減刑又は免除するという規定は珍しく、刑法の強い意思が感じられます。
  その理由については、色々議論されています。犯罪を始めることで、違法性が始まり、犯罪が完成した段階で最も違法性が高くなるので、その途中でやめた場合、違法性が減少する。犯罪結果についてわかっていながら始めたので、故意責任はあるが、途中でやめたので責任も減少する。犯罪の被害を最小限とするためには、犯罪犯している犯人がやめることであるから、犯人を必ず減刑することによって、犯罪を犯し始めても後戻りをしてもらうために、刑事政策的に定められた。どれも一長一短があるようで、そのすべてが理由となって必ず減刑又は免除されているという考えに落ち着いているようです。
  事例2においても、殺人の実行行為が開始されたとするのであれば、必要な手当てをしたということが、中止未遂を成立させ、減刑となったものです。中止未遂の制度を知らなくたって、減刑されることになっているのです。

  では、この中止未遂が認められたもう一つの事例を見てみましょう。

<事例3>
  被告人は30歳代男性。母親と二人暮らし、ノイローゼ気味のところで、幻聴などが聞こえ、世界中が自分を拒否していると感じ、母親が寝ているにもかかわらず、自宅に火をつけた。炎の勢いに我に返り、寝ている母親を起こして、屋根から脱出させた。しかし、現住建造物放火罪と母親に対する殺人未遂罪で起訴される。1審は6年の懲役刑。
  この事件も、主張する内容は、事例2と似ている事件でした。母親を殺そうという意欲はなかったので、この被告人も殺人にはこだわりました。1審では、情状証人は誰も裁判所に出てきませんでした。
  私は、刑事記録を見て、ちょっとした引っ掛かりを感じたので、被告人の叔父さんに電話してみました。すると、母親と連絡が取れるというのです。住所を教えてもらい手紙を書きました。すると、関東から連絡があり、親戚を頼ってこちらに来ていたというのです。屋根から飛び降りたときに足を骨折したため、1審の裁判があった頃はずうっと入院していたとのことでした。なるほど、連絡が取れないはずです。
警察から殺人罪の事情聴取を受けた時は、事件直後でした。自分の家が焼け落ちて、気が動転しているときに、息子が自分を殺そうとしたということ容疑だと聞かされて、全く混乱してしまい、わけが分からなかったそうです。もっともなことだと思います。ただ、このため、被害者である母親が、犯人である息子を見放したとされて、この点も宣告刑の長さに反映したようでした。
  偶然、被害者であり、加害者の母親と連絡が取れたので、先ず、私は、例によって、刑事裁判における殺人罪の故意のお話をしました。放火は、寝ているお母さんが死んでしまうような危険な行為であり、この危険な行為を行っている以上、殺人罪になってしまうこと、被告人がお母さんを死なそうというつもりがあってしたことでは無いことを説明しました。お母さんは、初めて真実を知ることができて、安心されたようでした。控訴審では、被害者であるお母さんが情状証人として証言されました。また、殺人罪の実行行為をしたものの、寝ているお母さんを起こして屋根から逃がしたということで、殺人罪の中止未遂が成立し、原審6年の懲役が4年6月の懲役刑になりました。
  
<犯罪指数?と情状弁護の第一歩 なぜ犯人を弁護するかその1>
  犯罪の悪質さの程度というものが、秤で測れたら便利かもしれません。この犯罪は、犯罪指数が60だから、後は動機や前科の有無等で変動するとして、懲役は3年から5年の間だとか、犯罪指数が100だから、懲役10年以上だとかという風にです。刑法の法定刑は、幅があることが多いです。例えば窃盗罪ですと、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金ですから、10万円の罰金刑もあれば、懲役2年ということもあり、10年という場合もあるわけです。犯罪指数という例えでいえば犯罪指数10から犯罪指数100までそろっているということになるかもしれません。
  犯罪指数という例えを使えば、構成要件、違法、有責の議論は、この犯罪指数の上限を設定する議論ということになります。この被告人のこの事件は、法定刑からすると犯罪指数50から犯罪指数100まであるけれど、実際の事件は犯罪指数80以下ですという議論です。私は、この議論はとても大事だと思います。先ず、上限を決めてしまうということになるからです。これが無いと、実際に行われた事件よりも、もっと上の法定刑が選択されてしまう可能性があるからです。
  なぜなら、罪を認めている被告人は、悪いことをしていることは間違いないからです。悪いこと、犯罪について、一般の方々が、嫌悪感をもつことは、ある意味当然のことだと思います。悪いということであれば、とにかく責任を取ってもらいたいと思うこともやはり、当然だというべきなのでしょう。ただ、その気持が裁判のときに強く出てしまうと、法律の想定した刑罰以上の刑が宣告される危険が出てきてしまいます。法律の予定した最高限度の刑は、それなりに悪質性が強いとか、情状が悪いということになりますが、被害者の被害がクローズアップされてしまうと、どうしても刑が重くなってしまいます。そこで、まず、犯罪の成り立ちである構成要件、違法、有責という要素を使って、上限を設定するということが、どうしても必要となるのです。これは、弁護士だけが行うことのできる仕事ということになります。悪いことをしたことは間違い無いが、それは犯罪指数100はありませんよ、せいぜい犯罪指数60くらいですよということが弁護士だけができる仕事ということになります。
  弁護士は、犯罪を犯した人をなぜ弁護するのか、第1の答えが、ここにあります。そうです、弁護士は、被告人のした罪の程度を正確に認定してもらい、その罪にふさわしい刑を宣告してもらうために仕事をするのです。正確に裁いてもらうということが弁護人の情状弁護における第1の仕事ということになります。決して、犯罪をごまかしたり、ふさわしくない程刑を低くしてもらうことが仕事ではないのです。弁護人の仕事は、弁護人の目から見て、相当の宣告刑を選択してもらうことということになります。

<地下鉄サリン事件と刑事弁護 なぜ犯人を弁護するのか2>
 地下鉄サリン事件の裁判報道があったとき、友達と話していると、何であんなに悪い人を弁護するんだと非難されたことがあります。私が弁護人ではなかったのですが。その時、なぜ犯人を弁護するのか1でお話したように、被告人を正確に裁いてもらうためだということと、もう一つの目的を説明しました。
 地下鉄サリン事件のその後、宗教団体の幹部達が次々と検挙されました。その時、マンションの敷地内に入ったことで、住居侵入罪(刑法130条 3年以下の懲役又は10万円以下の罰金)で逮捕され、実刑判決を受けたかのような報道がされ、衝撃を受けたことを記憶しています。マンションの敷地内ということで、詳しくは分かりませんが、マンションの建物の中ではないわけです。駐車場や通路みたいなところかもしれません。そんなところに立ち入っただけで、実刑になってしまうという前例が作られてしまうと、例えば選挙でマンションの敷地や玄関前の共同郵便受けに立ち入っても実刑になったり、逮捕されてしまうということになってしまいかねます。すくなくとも、ただ立ち入っただけ、住居侵入罪で実刑ということはこれまでなかったはずです。地下鉄サリン事件が余りにも悪質な事件であることから、地下鉄サリン事件を起こした宗教団体が悪質であり、その信者の行為はすべて悪質ということになり、どんな理由でも、理由が付けば刑務所に入れても良いという風潮があったように思います。そうしてしまうと、憲法や刑事訴訟法が、無実の人を有罪としないために、色々な制度を作っているのに、その事件が悪質ということで、その制度がないがしろにされてしまう危険が出てしまうのです。そして、一度ないがしろにされた制度は、徐々に緩んで行き、いつしか無罪の人が有罪になることの歯止めが取り払われてしまうことになりかねません。そうなったら憲法や刑事訴訟法は、ただの文字の羅列になってしまいます。
 犯人を弁護する第2の理由は、その犯人を弁護すると同時に刑事訴訟法を守る、制度を守るというところにあります。
<真犯人を無罪にすることは弁護士の仕事では無い>
 あまり面と向かっていわれることはありませんが、真犯人であることを知っていて、弁護人が嘘をついて否認することがあるという人がいるそうです。真犯人を無罪にすることが有能な弁護士だというのです。
 私は、これは、全くの間違いだと思います。弁護士が真犯人であることを知っていて無罪主張するということは無いと思います。弁護士倫理にも反することなので、許されない行為です。
 「でも」、と私がいうと、「ほら」という声が聞こえてきそうですが。真犯人か否か、実際の犯罪の現場を見ていないので、確かなことはわからないのです。被告人は、被害者とされた人が暴れていたので、これを取り押さえたと主張し、被害者とされた人は、被告人から一方的に殴る蹴るの乱暴を受けたという場合、どちらが本当か決め手が無いことがあります。
 弁護人が弁護活動をするのは、一般的に逮捕がなされた後ですから、警察の考える事件の筋書きが既にできているのです。警察はプロですから、被害者の言い分がでたらめだとわかれば、もちろん事件にはしません。だから、弁護人が弁護活動をする場合は、逮捕された事件が事件として存在するようなリアリティのある筋書きができています。だから、実際は無罪事例の場合も、リアリティのある筋書きがあるわけです。警察官もプロですから、初めから無罪の人を有罪にしようと努力するということはありえません。無罪事例の場合は、ともすると弁護人も、プロの作った筋書きに騙されることがありうるわけです。だから、被告人(起訴される前は「被疑者」といいます。)が無罪を主張している場合、まずそれを信じる努力、意識的に信じようとすることが必要となることがあります。そうでないと、つまり、警察でこうだと言って逮捕しているのに、それを否定するなんてと思って聞いていると、本当に無罪の人が、無罪となる機会が永遠に失われてしまうことになってしまいます。
 そんなこと、プロなら簡単だろうと思われるかもしれません。しかし、実際の無罪事件は、誰が見ても疑わしいところに用意されています。例えば、2年間空き巣で生活していた窃盗犯が、20件以上の空き巣の公判請求された事例で、1件だけ、その空き巣は違うというような場合、どう思われますか。その1件も前に空き巣で入った家という場合どうでしょう。こういうところに無罪事例が潜んでいるということは、実務的にはよく言われているところです。
 被告人が、この事件は無罪だという場合、先ずそれを信じなければ、無罪の人を救う人はできないと思います。先ず被告人の話を信じなければ、無罪の筋書きは絶対見えてこないと思うからです。被告人も多くは素人というか、余り警察との付き合いは無い人です。自分の無実を合理的に筋道立ててお話できない人が大多数です。ましてや、家族から離れた警察署で、短時間の弁護士の面会で話をしなければなりません。警察の筋書きに適うわけはありません。
 私の敬愛する先輩弁護士から、「依頼者に騙されることは恥にならない。捜査機関に騙されることを弁護士は恥とするべきである。」とアドバイスを受けたことがあります。時として依頼者に騙されることも恐れずに、依頼者の主張を信じることが、弁護士としての責務であろうと思います。
 私は、第1回の接見は、原則として詳しい記録を読まないで、先ず面会に行くことにしています。時には、認めている被告人に対して、本当にその人が犯人なのか、反対尋問のようにチェックの質問をすることもあります。
<では、明らかに嘘をついている場合はどうするの>
 実際に、明らかにその被告人が犯罪を犯していると思われるのに、なお自分ではないといっている場合はどうするか。事例4をみてみましょう。
<事例4> 
 被告人は50歳代男性。郡部の町の大手家電量販店で、パソコンプリンター3台を万引きした。否認。面会に行ったら、自分を落としいれようとした男がいて、その者が、万引きをして、自分のトラックの荷台に積んだと思うとの説明。
 もちろん、当初、私はこの話を信じようと努力しました。しかし、記録を見てみると、プリンターは箱に梱包されているのでかなり大型であり、店のキャスターでこの被告人が運んでいるところを、防犯カメラで写されているのです。加えて、被告人は、トラックまで追いかけてきた店員に現行犯逮捕されているのです。ちょっとどころか、明らかに無理な否認事件ということになります。どうやら、被告人は、事務所で話し合いをするということで、警察沙汰にならないですむと思ったのに、警察に引き渡されたのを怒っているのと、防犯カメラのプリントアウトした写真が不鮮明で自分だと分からないと思っているようでした。
 私は、警察にも協力してもらって、その家電店に行って、店の人から事情を聞いて確認したり、防犯カメラの現物を見せてもらったりしました。そして、顔は確かに不鮮明ですが、写っている人の服装が特徴のある服装であること等から、記録とあわせて考えると、少なくとも無罪は無いと確信しました。
 その旨被告人に話して、罪を認めるよう説得しました。ようやく罪を認め、法廷で自白をしました。罪を認めたことは、反省をしたことの最大の証拠になりましたので、検察官の求刑よりもずいぶん減刑されることになりました。ここで、否認をしたままであると、さらに何年も余計に刑務所に入っていなければならなかったのです。自白が被告人の利益になったと確信しています。
 ただ、無罪を主張している被告人を説得するためには、現場の調査など、必要な調査活動をしなければならず、そのような努力を怠って論理だけで被告人の無罪主張を否定することは危険であり、やってはならないことだと思います。

第2章 規範意識 ボタンの掛け違いがいつ始まったか


 裁判報道などで、結局、事件の本質はなんだったのかとか、事件の本質を曖昧にしたまま結審となったとか、事件の本質に迫らなかったとか、よく「事件の本質」という言葉が使われているようです。
 私の恩師である、亡くなった太田幸作弁護士は、「弁論」という弁護人が裁判の最後で意見を述べる機会に、冒頭にこの事件の本質はなになにだと、一言で述べられていました。当時司法修習生だった私は、太田先生の弁論集を拝読して、圧倒された記憶があります。その一言で、弁護人の意見に引きずり込まれてしまう、魅力がありました。
 私は、自分の能力を自覚しているので、そのような断定はいたしません。しませんけれど、事件の本質ということを言い当てることができるのであれば、正しく、被告人を評価してもらえるのではないかと思っています。また、事件の本質を曖昧にして、本当に被告人を処罰することができるだろうかという疑問も持っています。
 その本質に迫る、分析方法として有益なものが、被告人の規範意識(きはんいしき)というものが、いつ、どのような形で薄れていったかという、規範意識論だと思います。
要は、自分がこれからやろうとしていることが、法律で禁止されていることを知っているならば、それをしてはいけないというストップをかける気持ちが生まれなければならない。ストップをかけないでやってしまったから、刑罰を受けるという責任を取らなければならないということが規範意識論です。
専門用語を使うと、「人は規範に直面した場合、反対動機を形成することが期待されているのに、敢えて実行行為を行ったところに故意犯処罰の根拠がある。」ということになります。
犯罪行為を実行しようとして、ストップをかけられない理由、規範意識を邪魔する事情、これが、事件の本質というものに迫る一つのツールだと考えているのです。
私は、ある程度、事件を担当していく中で、突然犯罪を実行しようとする人は、ほとんどいないのでは無いかということを考えるようになりました。犯罪を犯すことの抵抗が無くなっていく何らかの事情がある人が、ほとんどだと思えるようになってゆきました。
もし、この事情が、被告人の責任ではなく、国家とか社会の仕組みが関与しているのであれば、事件の責任の一端を担っている国家が、全責任を被告人に負わせることができるのだろうかということも、考えてみなければならないことのように思えます。自分で足を引っ張っていながら、おぼれたからたたくということはフェアーでは無いように思うのですが、いかがでしょうか。
これまで私が担当してきた事件について、私なりに分析して主張した、規範意識が薄れていく事情について、実際の例を見てゆきましょう。

犯罪の動機ということが取り上げられます。検察官が裁判の最後で、論告(ろんこく)と言って、被告人がどんなに悪いことをしたか、その結果、何年の刑が相当かという主張をします。その時、検察官は、決まって「動機に酌量(しゃくりょう)の余地はない。」という言い方をします。どんな事件でもいうのだから、言わなくても良いと思うのですが、必ず主張します。
どうしてどんな犯罪も動機に酌量の余地が無いといいきれるのでしょう。実は、ある理由があります。例えば殺人のときであれば、その人を殺す時、窃盗であれば人の物を盗むとき、まさにそのときには、大体は、動機に酌量の余地は無いのです。

<事例5>
 20歳代男性。フリーター。よく一緒に遊んでいた夫婦が出産間近になって、夫が派遣切りに合った。二人は、戸惑うばかりで、出産費用も用意できないままでいる。その日の食べるものにも事欠く状態。被告人も、ちょうど仕事が切れて、すぐには現金を手に入れる方法が無い。そのため、大型電気店に窃盗に入り、家電製品を盗み、質屋に売却。

 この場合、被告人は、当事者ではないし、盗むという方法よりも、夫婦の両親等に話しをしたり、行政に相談したりして、当面の生活を確立することが道筋ということになります。その場しのぎの盗みでは、本当は何も解決しません。まあ、でも、母親が食事をしないと赤ん坊に悪影響が出るかもしれないということ、間もなく生まれるということで、パニックになっていること、他人事なのに、逮捕されることを覚悟で盗みを行っていること等、ある程度、同情したり、少しは評価できたりするところもあるように思います。なにより、仕事をしても、給料日は、下手すると来月ということになるので、給料をもらう前に生まれてしまうという事情もあったのでしょう。
 しかし検察官は、そんな前の事情について考えることなく、「無為徒食のまま、安易に窃盗を敢行したという動機に酌量の余地は無い」と切り捨てるわけです。その犯罪の時だけをみてしまったら、確かに酌量できる動機というのはなくなりそうです。
 でも、動機に酌量の余地がある場合は、量刑に考慮されることになっており、それだから検察官は、酌量の余地が無いということを繰り返すわけです。
 では、どこまで遡って、被告人の事情を考慮したらよいのでしょう。犯罪に影響がある事情とは、どこまで遡ることができるのでしょう。これが、私の問題意識となっています。

<事例6>
 30歳代男性。罪名 窃盗。2年で数十件の空き巣。アパートのベランダから窓を壊し、鍵を開けて進入。現金、時計、ゲーム機、食料などを盗む。現金化できるものは現金化する。
 3年くらい間に2度目の離婚。職場で窃盗の濡れ衣。それ以来定職に就けなくなり、1年くらいは概ね部屋で寝ているという生活。完全に生活パターンが昼夜逆転する。2年前くらいから空き巣に入るようになる。この間、両親とも交渉なし。
 
 被告人は、これまで、前科はありません。いわば普通に働いて、普通に生活をしていた人が、泥棒で生活するようになったわけです。ただ、これまで15年間弁護活動をやっていると、普通の人が突如犯罪を犯すということは、おめにかかったことはありません。犯罪を犯す過程が必ずあるように思います。犯罪を犯しやすい状態とか環境に陥った人が犯罪を犯しているように思います。その状態とか環境に陥るというのは、法律を守ろうという気持をもてなくなる環境ということになります。これを、「犯罪環境」と私はいうことにしています。
 事例6の被告人は、3年位前、離婚と離職により、社会から切り離されて、ほとんど一人で生活をするようになります。1年間は貯金で生活していたのですから、ほとんどお金をかけないで生活していたことになります。日当たりの悪い、工場地帯のアパートで、寝ているかテレビゲームをするかして生活していたそうです。
 このように、他人と話もしない生活が続くと、自分は一人だという気持、孤独感が強くなってゆき、自分が社会の構成員であるという自覚は薄れてゆきます。社会のルールであるという法律を守ろうという気持も、それとともに薄れてゆくようです。交通安全の標語で、「交通ルール、守るあなたが守られる」というものがあります。これは傑作だと思います。法律は、みんながこれを守ることによって、平和な生活を送れるわけです。法律を守ろうという規範意識は、自分が法律によって守られているというどこかに意識があり、これに支えられているように思うのです。但し、これは、いつも強烈に意識しているのではなく、働いたり、学校へ行ったり、家事をしたりしている中で、なんとなく感じているくらいの気持ちだと思います。
 ともかく、働きもしない、みんなが起きてくる時間に起きない、外に出て他人と話さないし、顔も合わさない、お金がなくても誰も助けてくれないという生活が続くと、自分が社会の一員という気持がなくなるようです。社会が、すべての他人が、自分と関係の無い存在になってゆくようです。社会がすべて自分の敵だと言い切るかどうかはともかくとして、少なくとも自分の味方ではないという意識になるようです。
 このような気持が高まると、人の家からお金等を盗む場合も、相手が気の毒だということは思わなくなるようです。そこまで考えられなくなっているということが多いようです。それで、次々と空き巣をして盗みを繰り返すことができたようです。
 もっとも、事例6の被告人も、初めから孤独だったわけではなく、社会の構成員として生活していた頃の記憶はあるわけです。盗みをしながらも、こんな生活を繰り返していたらだめだろうなとか、明日にも警察が来るのでは無いかということをいつも考えていたようです。
 事例6の被告人は、どの時点で犯罪環境に陥ったのでしょう。そうです、3年前の離婚と盗みの濡れ衣ということから離職した時点ということになります。この時点で、どうやら被告人は、うつ状態と同じような精神状態になったようです。せめて友達とか、親戚とかが、被告人を叱咤激励するなり、本当にうつ状態なら病院に連れて行くなどして、犯罪環境に陥ることを防ぐことができたならば、被告人は、このような犯罪を犯さないですんだのだと思います。被告人は、犯罪環境に陥った後は、飢え死にするか、犯罪を行うかといことだけが現実の選択肢となります。犯罪環境に陥っているのだから、犯罪を行うハードルは文字通り低いということで、簡単に犯罪を選んでしまうわけです。肝心なことは、犯罪環境に入らないことだと思います。そうだとすると、事例6の犯罪の根本原因は、離婚、濡れ衣というところにあるわけで、離婚も当事者が悪くなくてもご縁がなかったというほかは無い理由で離婚になるということもありますし、濡れ衣ということは、本当に事例6の被告人に気の毒です。
 もっとも、この3年前の事情が、被告人に有利に働くかどうかは疑問ですが、検察官の論告は、「生活費や遊興費が必要になるや、他人の財産権を侵害してこれを賄おう(まかなおう)と安易に本件各犯行を敢行したものであり、その身勝手な犯行動機に組むべき点は何ら認められない。」となります。
 まあ、そういわれればそのとおりだけどね。ということにはなるかもしれません。弁護人としても、3年前に気の毒だったから、寛大にしてくれというわけではなく、犯罪環境の議論は、犯罪の原因分析として最も重要な意味を持ち、改善の方法の最有力な手がかりとするということに主眼があります。この点は次章で、形を変えて説明します。何よりも、本件犯罪の根本原因を明らかにすることは、その人を裁くに当たって大事なことだと思います。

<本当に困った人の窃盗>
本当にお金がなくて、生存に不安を感じた場合に、窃盗をすることが多く、その場合は、空き巣が多いようです。まだ、生活に余裕(?生物的な余裕ですね。)がある場合は万引きが多いように思います。そして、空き巣の場合で、本当に、食べるに困って空き巣に入る人は、被害者宅にあった食べ残しを食べることが多いようです。被害者が覚えていないこともあるでしょうが、冷蔵庫にいれたパックからお惣菜を食べたり、食べかけのアンパンを食べたりという被害届が必ずあるような気がします。
他人の家にはいる場合は、いよいよ困ってということのようです。お店に比べて他人の家に侵入するということは、やはり抵抗感があるのかもしれません。
今おなかがすいてどうしようもないとか、犯罪環境にどっぷりつかって抵抗力がなくなった場合、なんらかの関係で、犯罪を犯す抵抗力が無くなった場合ということになるようです。
 

 犯罪環境ということについて一緒に考えていただければ幸いです。
 
 <離婚のショックは男性のほうが大きい>
 離婚を契機に犯罪環境に陥るという人は、窃盗罪の場合、少なくないように思います。別の事例でも、それなりに仕事をしている50歳代の男性が、置き引きを中心とした窃盗を繰り返すようになっていて、原因がよくわからないということがありました。よくよく考えてみると、窃盗を始めた時期が離婚後間もない時期からで、それ以来、刑務所を出たり入ったりしていました。これに対して、女性が離婚を契機に犯罪環境に陥ったということは、記憶にありません。全く無いということではないでしょうが、どうも、離婚をしてショックを引きずるのは男性のようです。我が身を振替っても思い当たるところがあります。大げさに言えば、人生の節目で、何かを選択する場合、家族のためといういいわけを使っていたように思います。子供のためとかいいながら心の衡平を保っていたようなことはありませんか。それがすべて否定されてしまったような、そんな空洞状態になってしまうということがあるようです。もっとも、女性のほうが、家族のためということで、生活され、生き方の選択を余儀なくされることが多いと思うのですが、不思議と女性は離婚を決意した途端、生き生きと輝きだす人が多いように思われます。とても不思議に、かつ、男性としてはうらやましいような気持になります。

<事例7>
 40歳代男性。大型店舗に隠れ、閉店後、売り場から貴金属を盗んだ。
被告人には前科があるが、刑務所出所後に結婚し、40歳で子供をもうける。勤め先の賃金が低く、子供に不自由ない暮らしをさせるわけにいかないという気持から、転職をする。しかし、実際の賃金は説明よりも低く、収入は一向に増えなかった。あまりの低賃金のために妻からは離婚を切り出される。何とか収入を増やそうと躍起になって働いたが、就職先は倒産。妻に事実を告げてしまうと離婚を拒否できなくなるので、嘘をついて働いているふりをしていた。給料日に、妻に給料を渡せないことから、自殺を試みるが失敗。本件犯行に及ぶ。

犯罪環境と呼ぶには、余りにも痛々しい事例でした。自分に似ているところの多い被告人だったので、思い入れがありました。弁論要旨は今見てもがんばっている様子が分かります。
私も、被告人と同じ年齢くらいで、子供ができました。自分のことより大事だということはよくわかります。3歳くらいだと、子供が風邪を引くと自分が引いたほうがよっぽど楽だという気持にもなりました。自分を慕って、抱っこをせがまれるとたまらない気持になりました。もう自分の生き方とか、考えとか、そんなものはちっぽけなものとなり、どこか風に吹かれて飛んでゆきました。この弱い、小さな子供を守る、愛情を注ぐということがすべてだった時があったように思います。
ましてや被告人は、孤独な生活を送っており、刑務所の生活も体験しています。ようやくめぐり合った伴侶と、ようやく授かった最愛の子供だったわけです。自分が生まれてきてよかったと毎日が夢のような生活だったと思います。ところが、勤め先の賃金が少なかったり、リストラ解雇をされてしまったりというところで、被告人は、最も大事なものを守れないということになったわけです。これは、被告人の責任ではありません。でも、妻としても、生活のできない収入では、行き詰まってしまうので、夫に対処を求めることはやむを得ないとも思われます。被告人にとっては、今自分の腕の中にある確かな幸せを、もうすぐ手放さなければなりませんでした。喪失感、無力感に苦しめられたことでしょう。恐怖にも似たものだったと思います。何日も眠れなかったことから、ノイローゼになっていたかもしれません。

このケースは、突発的に、規範意識が減退した(法律を守ろうという気持が少なくなった)事例ということになると思います。リストラ解雇されたことがいずれは妻に分かられてしまう。子供、家族を失うときが秒読みで迫ってくるということが何日も前から被告人をパニックにしました。自殺も実行しました。何日もろくに眠れなかったようです。そして自殺の実行直後ということが、なおさらに被告人をパニックにしたようです。このパニックが一時的に、被告人から規範意識を奪ったといえる事例です。規範意識がすっかりなくなっていなかったので、被告人は、自分の給料相当分の貴金属を一つ盗んだだけで、その外のものには手をつけませんでした。誰が、いつ、どんなシチュエーションで買うものか分かりませんが、被告人にはそれが離婚から救ってくれるのなら命に代えても良いと思えた貴金属でした。でも、被告人は、一度貴金属を手にして、それであきらめました。逃げようとしなかったのです。巡回に来た警備員の方に、自分から「どろぼうです。」と告げて捕まえられました。逃げられないという気持より、この泥棒した物で、子供をつなぎとめては駄目だと感じたようでした。被告人は、初めから逃げることも、盗んだものをお金に換える方法も、何も計画していなかったようでした。

この事件は、判決で執行猶予がつきました。被告人には、転職前の会社から、仕事振りを評価されて、再就職の誘いがきました。しかし、被告人は、裁判が終わる前に、離婚届出用紙を妻に送りました。裁判で、妻に対して今どのように思っているかと尋ねられたとき、被告人は、今は感謝していると話していました。裁判の後のことは、弁護人はわかりません。たとえ子供と一緒に暮らせなくても、子供に愛情を注ぎ続けていて欲しいと願うばかりです。

<子供の事件は辛い>
 乳幼児は、不思議な力があるようで、自然と守ってあげたくなるような気持にさせられます。小学生くらいになると、もう自分でがんばれと思ようになるのです。離婚事件で、離婚をするか、婚姻生活の条件を整えてやり直しを考えるかと相談を受けているときがありました。相談者は妻で、2歳の女の子を連れてきていました。女の子とはおとなしくお母さんの膝の上に抱かれていました。ところが、相談が進み、離婚に踏み切るという結論になった途端、その女の子が、突然、火がついたように泣き出したのです。まだ話している内容が分かるわけでもないのに、泣き出して泣き止まないのです。偶然にしては突然すぎるのです。また、相談も淡々と行われ、理性的に結論をだしたので、お母さんも感情的になっているわけではありませんでした。何かを感じ取った、自分の運命の変化を感じ取ったのだと考える他はありませんでした。ずいぶん前の話なのですが、未だにはっきり覚えていて、忘れられない出来事でした。
 映画で、子供と動物には適わないという話があります。どんなに演技力のある俳優さんでも、子供と動物が主役になれば、どうしてもそちらが注目されてしまうということのようです。子供には説得力があります。ある離婚訴訟で、お父さんとお母さんが離婚して、子供がお母さんのほうへ引き取られることが決まっていた事件で、お父さん側も子供と別れてつらい思いをしているということを証人尋問でお話してもらおうとしたことがあります。お父さんとお母さんが別居したので、もうこれが最後の日ということで、子供がお父さんと遊ぶことになったそうです。分かれる間際、何も言えず、二人で夕焼けに染まる海をただ見ていただけだったそうです。私は、質問をして、お父さんにお話しをしてもらわなければならなかったのですが、なぜか当時まだ幼稚園に上がる前に自分の娘の寝顔を思い出してしまい、本当に泣けて、泣けて何もいえなくなってしまいました。まったくもって、弁護士失格です。子供が絡む事件は、民事でも刑事でも、本当に辛く、文字通り弁護泣かせです。

<事例8>
 50歳代男性。食堂で目玉焼き定職とビールを飲んだが、所持金が無く、無銭飲食ということで詐欺罪で起訴される。
 被告人は、成人に達してからは、刑務所にいる日数の方が多いくらい、刑務所を出ては窃盗を犯し、また刑務所に戻っていた。今回も、刑務所を出て数日で事件を犯している。刑務所で知り合った人が、自分の勤め先で被告人を雇うので、刑務所を出たら尋ねるようにいわれていた。このため、被告人は福島県の刑務所を出て、わずかな所持金を持ち山形県に赴いた。しかし、尋ねるようにいわれた住所地から、その知人はどこかに行ってしまっていて、就職はできなかった。当方にくれた被告人は、以前、港町は景気がよいということを聞いていたので、港町に行こうとした。どう行ってよいか分からないので、とりあえずタクシーに乗って、漁港にどう行けばよいのか尋ねた。勘違いしたタクシー運転手は、宮城県の漁港まで被告人をタクシーに乗せて連れてきてしまった。漁港に着いて、お金の無いことを知ったタクシー運転手は、何故か怒らず、説教はしたけれど、被告人に夕飯をご馳走して帰っていった。被告人は、漁港の市場や水産加工場を訪ねては、仕事がないか尋ねて回ったが、突然訪問して仕事を与える会社は一つもなかった。早朝から昼近くまで一件、一件尋ねたが全く見つからない。あるき疲れて、行き止まりになってしまった。被告人は、疲れきり、空腹のため、偶然そこにあった食堂に入った。目玉焼き定職を頼み、勧められるままビールも飲んだ。合計1,180円。被告人の所持金は約300円だった。

 この被告人と海の近くの警察署で面会をしました。前科があまりにも多いことに驚きました。被告人の話によると、被告人は、婚外子として生まれたそうです。3歳のとき、実の母親と別れ、父親に引き取られたようです。父親には正式の妻との間に子供があり、被告人の話によると弁当のおかずも自分のだけ魚が入っていないというように、あからさまに差別されたとのことでした。未成年のうちから、時計を月賦で買ったところ詐欺だとされ鑑別所送致となり、成人になってすぐに工場にあったギターを弾いていたところ、窃盗だということで起訴され、裁判官が弁償をすれば刑を考えるということで裁判が延期されたにもかかわらず、被告人の父親は弁償せず、刑務所に行くことになったとのことでした。
 被告人は、幼い頃から、自分は疎まれている。自分を大事にしてくれる人はいないと感じて育ってきたようです。例えば約束事を守ったり、きちんといわれたことを行ったりしても、誰からもほめられることもなかったようです。道徳や法律など、ルールを守ることの喜び、充足感を誰からも教えられなかったことになります。ギターの弁償をしてもらえなかったことが決定的になり、被告人は自分を守ってくれる人がいないと感じるようになっていったといいます。自分を受け入れる家族という人間関係が、被告人の場合、うまく機能しなかったようです。被告人は、何か困ることが起きると、窃盗など、他人の迷惑を顧みない行為を繰り返して、刑務所に行くことになります。
ひとところに定着しないで、放浪をする傾向があったようです。話しこんでようやく分かってきたことは、どうやら被告人は、無意識に3歳のときに別れた本当の母親を探して、放浪をしていたようです。母親の所在について、手がかりをつかむと、いても経ってもいられなくなり、無計画に、そちらへ旅立ってしまうようです。成人してからの被告人の30数年は、自分が捨てられたという負い目から、自分が幸せだったわずかな記憶、記憶と呼べるほど確かなものではないイメージというようなものかもしれません、それを求めての旅でした。自分は差別を受けるような人間ではない、生まれてきた幸せを感じたいと、無意識に希求していたように感じられました。ところが、前回の刑務所に服役していたとき、被告人は母親の死亡を知らされたといいます。あんなに会いたかった母親と二度と会えないことを知って、それでも何とか働いて全うに暮らしたいという気持があったようです。それも、被告人にしてみれば、どうやって就職したらよいのか分からず、見ず知らずの港町で、疲労と空腹の極の中、ただただ絶望を感じていたのかもしれません。
 子供と別れるということは、親の事情です。3歳の子供には何の責任もありません。生まれてきたことに負い目を持つなんて、他人事ながら我慢のできないことです。私の弁護方針は、規範意識がうまく育たなかったことを主張することと、それ以上に、被告人に自信を持ってもらうということに標準を定めました。
 すると、色々とあるのです。被告人を自分のところで働けといって住所を教えた刑務所の受刑者、長距離を騙されて運転させられたのに夕飯をご馳走したタクシーの運転手さん、それからお金の無い被告人のために5千円を渡してくれた警察の留置所の同房者。被害弁償はこの5千円から出しました。このように、被告人は他人をひきつける力を持っていることに気がつきました。また、ギターを独学で弾きこなすようになった音楽の才能もありました。これらは、努力してできることではありません。いわば、持って生まれた才能です。要するに、被告人が親からもらった財産なのです。被告人の母親は被告人を育てることができなかったけれど、被告人は他人がもらえない豊かな才能をもらったといううらやましい境遇にあったのです。このことを一生懸命、被告人に話しました。でも、どこまで通じるか自信はありませんでした。
 裁判のとき、貴方は両親からどのようなものを受け継いだのかについて尋ねました。他人が自分を助けてくれるということについて、被告人は応えてくれました。それだけでなく、自分は丈夫な体を持っている。病気一つすることがなかった。これも親にもらった財産だといってくれたのです。そして、恥ずかしそうにこちらを見て笑ってくれました。弁護人の思いが通じたことを実感した瞬間でした。こういうことがあるから、刑事弁護はやりがいがあるのです。弁護人の特権だと思います。
 求刑は2年の懲役でした。被害弁償が効いたからだと思うのですが、宣告刑は1年6月でした。判決のすぐ後にはがきが来ました。「裁判所で約束したことを必ず守り、今の辛い気持ちを忘れることなく、残された人生、命を大切にすごしてゆきたいと思います。」と話してくれました。


規範意識の交錯
<事例9>
 少年審判事件。少年は、17歳。高等学校を中退し、無職。自分たちのAグループの№3が、隣の市の別のBグループの一員と、一人の女性をめぐって対立したことをきっかけとして、全面対立になった。ある日、果し合いを行うことを企画し、少年のAグループが20人くらいで、Bグループの拠点となっていた総合公園の広場に、乗り込んだ。Bグループの大半が逃げたため、Bグループのメンバー3人が、Aグループから袋だたきにあって、怪我をしたというもの。
 少年は、バイクの運転手として、Aグループのリーダーを乗せて、先頭を切って乗り込んで、Bグループの一人にバイクをぶつけ酔うとして、転倒させるなどの行為をした。しかし、それ以上の手出しをせず、かえって、Bグループの逃げた一人が友達だったので、パトカーのサイレンが聞こえたことをきっかけに、その友達を連れて逃げた。
 
 もし、その現場を見ていたら、とても怖かったと思います。ただ、相当袋叩きにあっていたのに、被害者も入院するほどの怪我はせず、不幸中の幸いでした。このような現場に積極的に乗り込んでいった少年の意識は、どのようなものだったのでしょうか。下手をすると、被害者をリンチで殺してしまう危険もあったと思います。なぜ、やめようとしなかったのでしょうか。
 少年と話す中で、少年の規範意識が、法律や道徳を守ろうとする前に、「先輩」(グループの年長者)の命令を守ることで精一杯だったのだなあと思うようになりました。少年は、この事件では、とにかく「先輩」から、集まれといわれて集まり、バイクを運転しろといわれて運転し、突っ込めといわれて突っ込みました。ただ、相手に別に恨みがあるわけではなかったし、たたけといわれたわけでもなかったので、叩かなかったということだったようです。
 それでは、どうして、法律や道徳より、「先輩」の命令の方が上になったのでしょうか。一つには、命令に逆らうと、ヤキを入れられるので、それが怖かったようです。ただ、怖いばかりで、いつまでも「先輩」達にくっついているわけではなかったようです。少年は、むしろ、積極的に「先輩」達の行動に参加し、「先輩」に何かを命令される前に、使い走りにいったり、用事を聞いていたりしたようです。どうやら、少年は、Aグループより外に受け入れてもらう場所がなかったようです。
 少年は、高校を中退して、Aグループの一人の親戚が経営する建設関係の仕事を手伝う形で働いていた時期もあったようです。しかし、友達同士で、仕事の後夜遅くまで遊んで、朝が起きられなくなることが何回か繰り返されて、仕事に行かなくなります。友人たちは、昼間学校へ行っています。仕事に行かなくなると、暇をもてあまし、Aグループの誘いに乗って、グループの溜り場へ出掛けるようになります。グループの中は、同じように、昼間働かない少年や成人がグループを組んでいて、主として年齢によって、上下関係が決まっているようです。上の命令を無視したりすると、みんなの前で殴られたり、タバコの火をつけられたり、「ヤキ」が入ります。
でも、面白いことに、上の者は、理由もなく「ヤキ」を入れることは無いようです。無茶をすれば上下関係が維持できないことを自覚しているようです。また、面倒見がよく、上の者は、下の者が別のグループから恐喝をされたりすると、自分が被害を受けなくても報復に行きます。他のグループとの関係では、体を張るところがあるわけです。今回のことも№2の者が他のグループと女性の問題でトラブルになったことをきっかけに、全体で報復に行くという構図でした。少年は、自分を受け入れなかった学校や、あるいは、職場で、あるいは社会よりも、グループにいることに安心感を抱いてのかもしれません。グループでは、グループのルール(規範)を守っていれば、自分を守ってくれるという意識もあったかもしれません。そのような気持を持たせるために、上の者もかなり色々なことを考えもしたし、必死で体を張ってもいたようです。
本来、国や社会が、このようなルールを守ることによって得られる安心感、満足感を、国民に与えなくてはならないのです。ところが、少年にとって、国や社会から与えられているものがあるということは、自覚できませんでした。正確に言うと、それらを自覚できない以上に、グループのルールを守ることによって自分が守られているということを、日々強く実感していたということになります。
そうだとすると、他人に暴力を加えてはならないという法律でもあり、道徳でもある規範があるということは重々分かっていても、その規範を破ることの罪悪感以上に、「先輩」の突撃命令を実行しないことの方が抵抗力が強いということが生じてしまったわけです。その少年の個人の問題として、法律の規範の力よりもAグループのルールの方が上に立ってしまったということになります。
少年が高等学校を中退したり、仕事をやめたりすることは、色々な事情があり、簡単に少年が悪いとか、国や社会だけが悪いとか割り切ることは、実際には難しいことだと思いました。ただ、今の日本では、高等学校に行かないことが、直ちに当事者にとって引け目に感じるような風潮があったり、就職や再び学業を行うことを難しくしている状況にあるように思います。その問題を考えながら、少年事件に取り組みました。

仮想社会の規範
事例10
被告人は、50歳代の女性。ある資産家の手伝いをしていて、その資産家のプロジェクトに融資をするとかつての郵便貯金並みに利息がつくという話しをして、知人から500万円を預かりました。しかし、その資産家は架空の人物で、500万円は女性の借金の返済などに充てられて、返済不能となりました。詐欺罪となりました。
被告人は、自分自身で会社を経営していましたが、収益が落ち込み、始終借金をしている状態でした。夫もいましたが、浮気相手がいただけでなく、子供までいたことがわかりました。知人に対して騙しはしたのですが、最初から騙そうとしたのではなく、このような八方ふさがりの状態を認めたくないので、羽振りの良い話をしていたのでした。そうしたら、この知人は、自分も儲け話に乗りたいということで、自分もその資産家のプロジェクトに一枚かませて欲しいと言い出したのです。被告人は、嘘だということをいえなくなり、500万円を預かってしまいました。借金の返済期限が迫っていたので、手元にあった500万円を使って返済してしまいましたが、知人に返済する方法はありませんでした。
事例11
 被告人は30歳代女性。女性は、自分を実在の有名な作家だと告げて、エッセイで書いていた装飾品を取寄せるということで、その代金を騙し取りました。同じことを何度も繰り返し、被害者も多くなったので、逮捕となりました。事案は、このような単純な話です。しかし、被害者は、本当に被告人を、その作家だと思っていたようです。しかし、有名で収入も多いだろう作家が働いてはいないような飲食店で働いているわけですから、少し考えると信じるに値しない話だとすぐ分かるのです。被害者となった10歳代から20歳代の若者は、本当に信じ込んでいました。その作家の後姿の写真を見せられましたが、私から見ると少しも似ていないのです。騙されるということは、こういうことかと感心した覚えがあります。
 被告人は、不幸な生い立ちで、親から愛情を注がれた記憶を持たないで成人しました。結婚もして子供ももうけたのですが、離婚して子供も手放しました。仕事は熱心で、文字通り汗水流して働く職場で、一生懸命働く一面もありました。ただ、華やかなことが好きで、若者が集まるようなブティックに入り浸っては、ファッションアドバイスみたいなことをして、尊敬されることが楽しみみたいなところがあったようです。店に来る若者達からは人気があったようです。店の人達とも仲良くなり、客なのか店の関係者なのか分からないような状況になっていたようです。私は、そのファッションセンスについて口を出す能力はありません。どうも、ファッションセンスより、その話し方が、若者が抵抗できないような話し方だったようです。おそらく、持って生まれた才能みたいなものがあるのでしょう。自分がその作家だといった作家の本は、ほとんど暗記していたものと思われます。若者との会話の端々に、本のフレーズをちりばめていたのでしょう。若者達は、すっかりだまされてしまっていました。この事例も、むしろ被害者となった若者の方が、被告人をその作家ではないかと言い始めた節があるのです。おそらく被告人は、肯定するでもなく、否定するでもなく、だんだんその作家になりきっていったのではないかと思われます。借金がありましたから、調子の良いことを言ってお金を預かっては、自分のサラ金の借金などに支払っていたようです。

他人を騙す最大のコツは、その物語に、詐欺をする自分自身が騙されることだということをどこかで聞いたことがあります。
 事例10も、事例11も、自分自身がなりたい人物象に、まず自分がなりきっている点に共通項があります。そして、その背景として、本当の自分の境遇を否定したいという事情があり、強い気持がありました。そして、初めからお金を騙し取るというよりも、なりたい人物を演じているうちに、引っ込みがつかなくなってしまったように思われます。嘘をつきとおすために、犯罪に踏み切るということを選択したのです。法律を犯すという怖さより、嘘を嘘と認める怖さの方が、被告人たちの取ってはより怖かったのです。いずれ分かってしまう嘘だと知りつつも、自分で自分自身を騙しきっていたので、後戻りをするという選択肢は、被告人たちにとって、自分自身を否定することと同じだったのだと思います。

<貧困>
事例12
 
<人を騙すコツと騙されない方法>
 自分自身が詐欺の被害にあった経験も含めて、人を騙すコツというものがあるように思われます。それは、被害者の話をよく聞くということです。話し上手は聞き上手と言いますが、全くそのとおりです。聞くだけでなく、すべて肯定するのです。そして誉めるのです。被害者を心底受け入れるのです。そして、自分が話をするときも、絶えず被害者の反応を注目します。何か被害者の反応にひっかかりがあった場合、実にすらりとかわすように、自分の話を修正していきます。あとは、被害者の方で、詐欺者に対して勝手に人物像を作って思い込み、勝手に自分から騙されてゆきます。これが上手な人の騙し方ということになるでしょう。
 これに対して、騙されない最大の方法は、詐欺者に目をつけられないということです。必要以上に羽振りの良いことをいったり、お金に困っていることを吹聴したりしてはいけません。
 不幸にして目をつけられた場合、先ず、うまい話に乗らない。自分が余りにも気持ちよくお金を出そうとする場合は、特に警戒が必要です。それから、一人で判断しないということです。一番は家族です。家族に相談することができることが一番です。特に夫や妻に意見を聞いてみることが一番です。詐欺の場合、一人で考えるようにさせられます。一度冷却期間をおくことを徹底的に邪魔しようとします。お金を出す、特に、高額のお金を出す場合は、その日に決めないということが絶対だと思います。騙されているときは、すべて自分が肯定され、うきうきしている状態です。多少の難のある話も、自分から強引に「難」の部分を無意識に否定してしまいます。詐欺者の話を直接聞いていない家族なら、笑い飛ばしてしまうことも、高揚感の中で気にならないという状態になっています。冷静に、家族の意見を聞きましょう。そういえばそうだなと、案外笑い話になることも、お金を出してしまうと笑えなくなってしまいます。

<私のだまされ体験>
 恥ずかしながら、私の詐欺体験を告白します。ある仕事がらみでローマにいたときです(仕事がらみで外国に行くことは、これ以前にもないし、これからも無いでしょう。)。仲間とのディナーまで1時間近くあったので、ホテルの前の繁華街を歩いていました。そうしたら、道に迷った人がいるのです。最初に話しかけられたとき何を言っているかわからなかったので、そのまま通り過ぎたのですが、道を聞いているということが分かったので、地図を覗き込んだのです。ホテルの方向を指差して、教えてあげました。そうしたら、日本人かと尋ねられ、当時行っていたワールドカップの日本人選手の事を言い出したのです。確かバックスの秋田選手を誉めました。おお、本当に知っているのかと話しをしているうちに、自分はポルトガルのエンジニアだということを言い出し、君の英語はクリアーだ。アメリカ人は鼻にかかって聞きにくいなどと言いだしたのです。私は、とても気持ちよくなりました。ここで気がつくべきです。私は、英会話などほとんどできません。簡単な単語の羅列をしているだけです。でも、日本サッカーを誉められ、自分の発音を誉められ、うきうき感がでてきてしまったのです。君が気に入ったから食事をしようといわれ、仲間とディナーの約束があるからといって断ったら、じゃあアペリティフだということで、ホテルのバーで一杯だけ呑むことになりました。私の泊まっていたホテルではありませんでしたが、特に軽快する必要も無い立派そうなホテルの地下のバーに連れて行かれました。バーには女の子も出てきました。金髪美人が肌もあらわなドレスをきて隣に着きました。このとき、私が、それまで仙台の国分町という飲み屋街に出入りしていなければ、完全にうきうき感に羽が生え、取り返しがつかないことになっていたでしょう。また、高等学校1年生の学級活動の時間に、担任の先生から女の人がつくような飲み屋に連れて行かれても始めてきたという顔をしては絶対に駄目だぞという教えを覚えていなかったら、私は取り返しのつかないことになっていたでしょう。敢えて、無理して、堂々と話しをしていました。そうしたら、不思議なことに気がついてきたのです。英語の話は通じるのですが、イタリア語が通じないのです。カラカラ浴場遺跡の話しをしても、カラカラ?と全く通じないのです。私のイタリア語の会話力と関係のないところです。おやおや変だなあと思い始めたところで、バーのママみたいな人が出てきて、シャンパンを開けようとして、私にあけてよいかと尋ねるのです。金が無いからだめだというと、キャッシュカードでよいというのです。日本人はキャッシュカードを持たないというと、ホテルの部屋番号でよいというのです。自称ポルトガル人に話しかけても、全く聞く耳を持ちません。何とかごまかそうとして、知っているイタリア語を屈指して言い訳をしていたら、ママからお前はイタリア語が話せるのかとびっくりされ、明らかにママが引いたような隙を見せたのです。この時しかないということで、ポケットにあった5万リラをテーブルに叩きつけて、「クエストオール」とイタリア語と英語のちゃんぽん(クエストがイタリア語でこれ、オールは英語ですべて、言いたかったのは、「これですべてだ」)で、多少大きめの声を出して店を出ました。店を出るまでは、無理して堂々とゆっくり歩きました。一切振り向きませんでした。ホテルの外に出た途端、ダッシュで走りました。1時間近くは動悸がおさまりませんでした。これ以来、詐欺の被害者に対して、目をつけられたことが不運だ、騙されたとしてもプロに目をつけられたらしょうがないんだと自信を持って慰められるようになりました。ちなみに5万リラは、当時日本円にして5千円くらい。ちょうど法律相談料くらいということで、勉強させてもらったと思っています。元は既に取った気持ちでいます。

<国家規範も絶対ではない 労働者の権利の話>
 私が、規範意識にこだわるのは、大学で労働者の権利を勉強したからかもしれません。ストライキや労働組合結成は、現在では、憲法で保障されている権利です。しかし、当初は、違法行為で、強盗罪や恐喝罪に該当する犯罪でした。日本においても、治安警察法という法律で労働組合を結成すること自体が禁止された時期もありました。
 ところが、労働者は、刑事罰や解雇を恐れずにストライキを打ち続けました。その長い犠牲の歴史の末、団結権、団体行動権、争議権が、世界各国で権利として認められるようになったわけです。ストライキを打っている労働者には、もちろん、これを行うことによって、刑務所に入れられるかもしれないということは、自覚していたわけです。しかし、反対動機は形成されませんでした。法律に違反するとしても、自分たちのストライキは正当であるという、正当性の意識が存在し、これに支えられて、闘いぬき、権利にまで高めていったのだと私は、教わりました。この場合、労働者の規範意識は、あるべき規範意識が、当時の現行の法律に優先したといえるのかもしれません。

<規範意識と犯罪環境のまとめ>
 この章でお話したかったことは、犯罪は、ある日突然起きるものではないということです。この章でお話した犯罪環境に入ることによって、少しずつ法律を守ろうという気持、規範意識が弱くなっていき、犯罪を犯すことに抵抗が無くなって、きっかけがあると犯罪を実行するということがほとんどだと思います。東北楽天イーグルスの野村克也監督が、「負けに不思議の負けなし」とおっしゃっているそうです。犯罪にも不思議の犯罪は少ないようです。
 このことから、一つは、少なくとも、刑事裁判においては、なぜ人が犯罪を犯すのか、この裁判の事件の本質は何かを解明するべきだと思います。そうでなければ、本当にその被告人を国家が正しく裁くことができるのかということに疑問がでるはずだからです。
 もう一つ、考えて欲しいことがあります。最近、犯罪を思いとどませるために、刑罰を重くしようという動きがあります。私は、これには疑問があるのです。犯罪を犯す人は、刑の重さなんか知りません。法律で禁止されていることを知っているだけです。でも、犯罪環境に陥ることによって、禁止されていることを知りながら犯罪をやめようとしない考えになってゆくのです。刑罰が重くなっても、結局法律を守ろうという気持がなければ、大して変わらないと思います。犯罪をなくすことは、犠牲者を減らすことだから、誰も反対する人はいません。私は、犯罪をなくすために、多くの人に共通する犯罪環境を、社会からなくしてゆこうとする政策を訴える人が増えることを願っています。法律や刑法は、守らなければ怖いものではなく、守ることによって心に安らぎを与えてくれる快いものだということが、犯罪を無くす王道だと思います。理想論ですが、理想に向けて歩き出さなければ、本当の解決はありえないと確信しています。

特別予防論
<弁護人が一番初めに話すこと>
弁護人が、最初に被告人に会う場所は、大抵警察署の接見室です。テレビドラマなどで出てくる、透明なプラスティックの板に穴があいていて、その穴を通して会話をするあの場所です。
この時、被告人が初めて逮捕された人であった場合は特にですが、これからどうなるのだろう、自分は刑務所に行くことになるのだろうか、何年刑務所に行くのだろうということで、頭が一杯です。弁護人は、自分が面会している人が真犯人かどうかの確認をした後、先ず、刑事裁判について、説明することが一般的だと思います。
私は、次のような説明をします。
「裁判では、二つのことについて判断します。一つは、起訴状に記載されていることが真実かどうかです。これが真実だとした場合、二つ目は、あなたに対してどのような処遇をするかです。刑務所に入れるか、執行猶予とするかです。」
「やってしまったことが本当であれば、今さらそれをどのようにいっても仕方ありません。執行猶予とするかしないかの決め手は、あなたが、今回のようなことをまたやるという可能性が高いかどうかです。釈放したら、またすぐに同じことをやるなと裁判官が判断したら、刑務所に入れておくしかないということになりますよね。裁判官がどうやってまたあなたが犯罪に走るかどうかを判断する方法は、あなたが反省しているかどうかということになります。」
 ここで、多くの方は、「本当に反省しています。もう二度とやりません。大丈夫です。」と私の言葉を遮ってきます。私は、その時の気持は、多分そのとおりだろうと思います。
「そうでしょう。あなたのお気持はその通りでしょう。他の方だって、警察署の中で、今度は捕まらないようにやろうという考える人はまずいません。ただ、刑事裁判の反省というのは、日常用語でいうところの反省とちょっと違うのです。それは、三つのことについて、あなたがきちんと、裁判官にお話ができるかどうかなのです。」
「一つ目は、あなたがしたことが、どういう悪いことかを話すことができるかどうかということです。自分が悪いことをしたと思わない人は、また悪いことをすることに抵抗ないですよね。」
「二つ目は、あなたがどうして、悪いことだと思ったのに、やってしまったか、他人に迷惑をかけることだと気がついた時点でやっぱりやめたということにならなかったか。その原因について、お話してもらいます。これは、事件の時のことだけでなく、あなたが悪いことをすることに、抵抗がなくなってきた原因、生活態度についても、考えてもらいます。」
「三つ目は、社会復帰したあと、どのような工夫をして、二度と犯罪を犯さないようにするか、その計画を話すことです。今はもう二度と同じことを繰り返さないと思っていることはわかります。でも、人間ですから、社会の中では、色々と嫌なことも出てきます。心がくじけることが必ず出てくると思います。そういう時、悪いことの誘惑がおきますよねえ。今回もそうだったでしょう。そういう、心が弱くなったときでも、二度と犯罪を犯さないという工夫を考えて、手だてを立てることが大事なのです。」
 警察署の中では、自分が刑務所に入るのか、入るとして何年くらいなのかということが最大の興味関心です。それを考えると夜も眠れなくなります。四六時中監視され、また、部屋には他の被告人もいるわけです。なかなか、反省を深める精神状態ではないことも理解できるのです。
「今、あなたが執行猶予になることを約束することはできません。執行猶予になるかどうかが、一番の心配ごとだということはわかります。でも、そのことばかりを考えていると、何を言っても、執行猶予になりたいから適当なことを言うと裁判官は見抜いてしまいます。執行猶予になるかどうかが、あなたの人生にとって一番大事なことではないですよ。ここで、しっかり反省して、これまでの人生に区切りを作ってください。線を引いてください。むしろ、そのことの方があなたの人生にとって、得なことになります。さっき言った三つのことを、そういうことから考えてください。あなたなりに一生懸命考えれば、結果はついてくると思います。なかなか難しいとは思いますが、自分のこれからの人生ということで、考えてください。弁護人は、あなたが反省することをお手伝いします。」

<情状弁護における弁護人の役割>
 大きな刑事事件があると、裁判の話題になり、なんであんな悪い人を弁護するのかということを話す機会があります。面と向かって尋ねられることも少ないのですが、気心の知れた友人たちとの飲み会では、遠慮なしに聞いてこられることもあります。弁護士は気が付いていないのですが、一般の方の中には、悪いことをいかにごまかすかということが弁護士の仕事だと思っている人も少なくないようです。
そういう場合、最近は、「弁護士は、被告人にキチンと反省してもらうことが仕事だ。」ということにしています。相手が興味を示してくれば、「ただ、この場合反省というのはね。」と3つの反省のことを話すわけです。
そして、さらに話が盛り上がると、弁護人、検察官、裁判官のそれぞれの役割を話してゆくことになります。
先ず検察官です。検察官は、社会秩序の維持という使命を強く担っているわけです。悪いことをすれば罰せられる。とても悪いことをすれば、とても重く罰せられるということを国民にアッピールをして、犯罪を犯してはいけないという気持ちにさせること、刑罰によって犯罪を防止するということを強く意識しなければなりません。これを刑罰の「一般予防」という言い方をすることがあります。
これに対して、弁護人も「一般予防」を無視できませんが、弁護人はむしろ、その被告人がもう二度と犯罪を犯さないこと、警察沙汰になるようなことをしないことを重視するべきだと私は思うのです。罪を犯した被告人が、再び罪を犯すことを予防するという意味で「特別予防」という言い方をすることがあります。もっとも、本来の特別予防という意味は、刑務所に入ることによって、あるいは罰金を支払うことで、「もう犯罪は懲りた。二度とやらない。」ということから、犯罪を防止するという意味で使われます。あるいは刑務所でいろいろ訓練を受けて、自分の犯した罪を自覚し、また、罪を犯さないで生活する訓練を受ける。これによって、刑を受けた後で再び罪を犯さないようにする。このように、刑罰の目的は特別予防にもあるという言い回しをします。
検察官は、一般予防の観点から、犯罪がある以上は厳罰で臨むという一般的なスタンスを持つことが勢いということになるわけです。これに対して、弁護人は、被告人の反省を引き出し、再犯の恐れがないということであれば、そのことを強調し、刑務所に入れる必要がないということを強調することが勢いということになるわけです。
裁判所は、検察官と弁護人の意見を聞いて、バランスよく判断するというのが、私の考える刑事裁判です。
 刑罰の目的が、一般予防と特別予防にあるという考えは、実務的にも学問的にも現在では異論があまりない考え方だと思います。裁判に携わる者として、裁判官だけでなく、検察官も弁護人もどちらかだけを考えるわけにはいきません。要は、どちらを強調するかという問題だと思っています。

<検察官の役割と実際>
 弁護士も、検察官も、裁判官も、その職業に就くためには、司法試験という試験に合格しなければなりません。試験に合格したあと、実務研修を行います。弁護士、検察官、裁判官について、実際の事件に立ち会うわけです。弁護士志望であっても、検察官、裁判官の研修も受けることになります。
 被告人の反省を引き出すということについては、私の場合、むしろ検察官についての研修で、何度も聞かされた事でした。取り調べで反省を引き出さないと、裁判官から反省していないということになって、被告人に不利になるだろうといわれたものです。数々の過激派の黙秘事件で自白させたという検察官OBからは、自白をとり、被告人を更生させることが、被告人の利益であるという信念がないと、被告人は心を開かない。被告人の人格を尊重することが、取り調べの要であるという趣旨の話を聞いて、感銘を受けたこともありました。
 しかし、検察官も人間であり、すべてを完璧にこなせるわけではありません。この理想を邪魔するものとして、一つは時間の壁があります。警察が犯人と思われる人を逮捕してから、通常長くても20日と48時間以内に裁判にかけるかどうか判断しなければなりません。裁判にかけることを起訴するといいます。この期間内は、犯人と思われる人を身柄拘束していることができますが、起訴しなければ釈放しなければならないのです。この期間内までに、取り調べをしたり、現場の実況見分調書を作ったり、被害者の供述もまとめます。共犯者がいる場合は、共犯者が別々のことを言っていたりすると、どちらが正しいかを調べなければなりません。警察も検察も事件は山ほどあります。どうしても、被告人の人格と向き合う時間は限られているようです。
もう一つ、検察官は、一般予防を強調する使命があります。犯罪を未然に防ぐということからすると、例えば人を殺したら、例えば長期間刑務所に入るという図式が必要になるわけです。図式による単純化したメッセージでなければ、社会に伝わりにくいと考えているのかもしれません。検察官とお話をしていると、どうも新聞の見出しを気にしていることが、多いような気がします。そうだとすると、人を殺したといっても、その実は、このような人間関係が複雑で、このような生い立ちで、このような精神的葛藤があってという具体的事情は、いつしか捨象されていくようにならざるをえないように思われます。これに対して、その人が二度と犯罪をしないということに力点を置くと、実際のその人の社会とのかかわり、犯罪をいとわなくなった事情という個別の事情、具体的事情を掘り下げてゆくことになります。

<国家政策と弁護士>
 弁護士が特別予防を担当するというと、事情通からは、疑問の声が上がることと思います。「特別予防というのは、一般予防とともに、国家が刑罰を課する目的ということである。弁護人は、国家機関ではないので、特別予防を担うということはおかしい。」という疑問です。
 もっともな疑問だと思います。確かに、弁護士が特別予防をになうという表現は、正確ではないわけです。一つに、特別予防は、刑罰によって、受刑者を犯罪から遠ざけるということですから、刑罰の段階を担当しない弁護士が特別予防を担うという考えは、本来的な意味ではありません。
 ただ、逮捕から起訴、刑事裁判、刑罰を含んだ刑事手続きということで見れば、弁護士も弁護人として、刑事手続きに関与しているわけです。刑事手続き自体が、一般予防、特別予防に役立っているとも評価できないでしょうか。たしかに、弁護士は民間人です。国家機関ではありません。それでも、国家は、刑事手続きに弁護人制度を設けているのです。そうである以上、国家の刑事政策上、弁護人にも期待される役回りがあるということが言えると思います。この期待される役回りの最も根本は、被告人サイドに立つことだということに、疑問はないと思います。
 刑事裁判は、刑事訴訟法という法律に則って行われます。封建時代の刑事裁判は、大岡裁きのように、国家等が国民を取り調べ、国民はお裁きにあっていました。現代の刑事裁判は、検察官と被告人が建前上対等に意見を言い合い、それを聞いて裁判官が結論を出すという仕組みになっています。お裁きを受ける立場から対等な当事者という立場に格上げされているので、現代の裁判制度は当事者主義と言われています。言い分があってもお裁きを受ける人ということであれば、なかなか取り上げられません。一番事情を知っている被告人の意見が尊重されなければ、真実を見誤ることもでてくるでしょう。また、当事者という立場でなければ、いろいろな取り扱いも雑になり、有罪判決までは無罪の推定を受けるという原則もないがしろにされてしまうでしょう。そういう意味では、当事者主義は、歴史を進めていることは間違いないと思います。
 ただ、警察の緻密で科学的な、そして組織的な捜査を土台として、その上に立った専門家の検察官と、普通の被告人とが、さあ平等だよ、対等に切り合ってくださいよといわれても、プロの力士とちびっこ力士の福祉大相撲みたいなものです。対等かもしれませんが、平等ではありません。せめて、法律専門家という部分で、弁護士が弁護することが、どうしても必要であるということになります。また、被告人は、文字通り当事者です。悪いことをしたという気持ちや、自分がこれから刑務所に行くことになるのだろうかということで、気持ちが上滑りしています。冷静な判断をしろといっても、土台無理なわけです。これに対して検察官は、任務を果たすということはあっても、被告人に比べれば到底当事者ではありません。この意味からも、第三者として弁護士がサポートするというということが求められているわけです。
<自分の犯罪行為の違法性の認識>
 先ず、一番初めの自分がやったことが、どんなふうに悪いのか、誰にどんな迷惑をかけたのかということを、考えてもらいます。これが、なかなか難しいのです。
 犯罪を犯すときは、被害者の立場に考えないことが通常です。殴られたら痛いだろうなと考えて暴行をふるう人はあまりいません。このお金取ったら、電気代が払えなくなるだろうなと思って、財布を取る人もいません。被害者の被害を考えないからこそ、犯罪行為に出ているというのが、実感です。
 だから、警察に捕まっても、被害者の迷惑について考えが及んでいない人が多いようです。この時、反省が進んでいても、「被害者に申し訳ない。」とか、「被害者に迷惑をかけた。」という言葉以上に、被害者の苦渋、悔しさ、悲しみについて、言及できる人は少ないです。
 迷惑をかけたことは当然ですから、問題は、どんな迷惑をかけたかを語ってもらうことなのです。言葉にできるよう、考えてもらうことなのです。迷惑という一言で済ましてしまっていると、まだ、被害者の被害に向き合っていないと思います。それは、即ち、自分の行為の意味を十分に認識していないことだと思います。だから、「絵に描けるように。」、「あなたの言葉で、映画が作れるように。」といって、具体的に考えてもらうことが必要なのです。
 具体的に考えてもらう方法としては、被疑者の方がこれまで経験してきたことで、被害者の被害と同じような苦しみを思い出してもらうことが有効です。実際、傷害事件を犯した人は、自分も暴行を受けたことがある人が多いし、窃盗犯は自分も物を盗まれたことがある人が多いし、詐欺犯は自分も騙されていることが多くあるようです。その時の自分の心情と被害者の心情を重ね合わせる作業をしてもらいます。
 これを実践すること、被害者の被害をリアルに想像することは、被疑者にとって、つらいことと思われます。また、自分が被害者を苦しめたのだから、そうならなければならないはずです。このため、思考がストップすることも多々あるわけです。そうなって当然なのですから、弁護人は結論をあせらず、宿題ねと言って、いったん立ち去ることになります。
<スーパーマーケットの万引き>
 スーパーマーケットの食品売り場などに行くと、歩くのも疲れるほど広大な売り場面積に、数えることもできないほど商品が陳列されています。この中で、商品を万引きした場合、被害者の被害を絵に描けるように話せと言われても、なかなか難しいようです。本当の被害者は会社なのでしょうし、社長や店長の顔もわからないということになります。
 それでも、みんなまじめに考えます。
刑法の試験ではないので、厳密な意味での被害者がだれかを考える必要はありません。要は、自分の万引きで、だれがどのように迷惑をかけられたかということです。
多いのは、万引きが多くなると、店長や売り場担当者が責任を取らせられて、賃金がカットされるということです。大事なことは
<道交法違反>
<風俗犯>


万引きという犯罪の弁護                                                             大人の万引きは誤解されている 万引き時の心理 万引きの心理を作る事情 万引きの心理を解消する手段 

万引きという犯罪の弁護
(繰り返さないために考えなければならないことがある)

大人の万引きは誤解されている


万引きというと中学生や高校生がやるものと思われている方もいるでしょう。しかし、大人の中にも万引きをする人がいて、農村部の高齢者に増加しているようです。
また、万引きは明らかに違法な行為だから、万引きをしてしまう大人は、だらしのない大人とか、知能に欠陥があるのではないかとか、甚だしい場合には盗みをする精神病ではないか等と見られてしまうこともあります。逆に、この人が万引きをするなんておかしい、なんかのはずみで起きただけのことだろうと軽く考えてしまう場合もあります。
私は、万引きの弁護を多く担当していて、これらの見方は過度に単純化したものの見方であり、万引きを止めることにとって無力であると痛感しています。万引きの原因は、もっと複雑です。そして、何らかの理由があることだと実感しています。
その原因は根深いところにあり、再犯防止を主眼とする情状弁護論 の立場からは、かなり難しい事件類型にあると思っています。

万引きは、刑法235条の窃盗罪に該当します。最初は注意、次の時は起訴猶予、そうして罰金、正式裁判を受けて執行猶予、正式裁判を受けて実刑という具合に、万引きをするたびに刑が重くなってゆきます。最近は厳しくなっていて、上の過程が省略されて、実刑判決までが短くなっているようにも感じます。

万引きの原因をきちんと分析して、原因を無くしてしまわないと、万引きは何度も繰り返され、実際に刑務所に行くことになります。


万引き時の心理

万引き犯が、万引きをしようと思い始める時はいろいろあるようですが、多くは、店に入ったときは、きちんと代金を支払って買い物をしようと思っていることが多いようです(但し、商品を転売する目的に職業的万引きの場合は別です。)。店に入って商品を見ているうちに、お金を払わないで持ち帰ろうという気持ちが強くなって行くようです。
万引きをする時は目が座っていて、傍から見たら怖いので、それだけで異常を感じると言います。自分が他人から見られていることに無防備なようです。防犯カメラの映像や万引きGメンの話を聞くと、どうやら周囲を警戒していないようなのです。量販店や大きなスーパーマーケットには防犯カメラが複数台設置されており、それをマルチモニターで監視し録画しています。だから、万引きをしている場面は、必ず目撃されて証拠が存在していると思った方が無難です。そんなことをお構いなしに万引きが行われているのです。つまり、物を盗ろうということに夢中になっているために、自分は見られているかもしれないというところに頭が回らない状態らしいのです。
つまり、その時の心理状態は、この商品を盗るということに集中しすぎていて、いかに早く商品を棚から取り出し、懐やカバンに隠すかということだけを考えているようです。物理的な奪取だけを考えているという状態です。これが発覚したらどうなるか、お金を払って買うことでどのようなデメリットがあるか等ということを冷静に考えられない思考状態になっているのです。この状態では、やっぱりやめようという気持ちが生まれる余地はありません。
ある意味病的な心理状態です。自分の意思、人格が介在する余地がないのです。
自分で二度と万引きをしないためにどうしたら良いかということを考えてもらうと、「一人では買い物をしない」という回答が多いのですが、それは、自分で自分をコントロールできないことを思い出しているためなのでしょう。
万引き時の心理状態の原因を作る要因
この心理状態は、逃げる時、闘うときの心理状態と共通しているようです。逃げると決めたら一心不乱に逃げる。余計なことは考えない。複雑なこと、将来的な見通し、あるいは善悪等を考えられなくなる状態です。これらの余計なことを考えると、逃げることがおろそかになり、危険から逃げられなくなるので、これは生きるための仕組みなのだと考えられます。
実際に危険が起きていなくても、長く危険にさらされ続けていると、慢性的に複雑な思考をする能力が停止ないし低下してしまうことが起きてしまうようです。基本的には、万引きをする大人の場合、実際に人間環境や体調等で慢性的なストレスを抱えて、思考能力が消耗しているため働きにくいというこがあるようです。そのままストレスという緊張状態が持続することに耐えられなくなり、自己を抑制しているストッパーが一時的に外れてしまう状態で、突発的に万引きの行動に出てしまうことが万引きの本質だというケースが多いようです。特に普段は、きちんと仕事をしていたり、日常生活を人並み以上にこなしているまじめな人が行う、理解不能の万引きのケースではこのような思考の補助線をひくことが理解を可能にするようです。
(これは多くの社会病理の要因に共通する心理状態です。社会病理というのは、自死、パワハラ、いじめ、多重債務、クレーマー、万引き以外の犯罪等 《対人関係学》)
この意味で、ストレスの発散ということが言えなくはないのかもしれません。ストレスの発散が万引きの理由かと尋ねられたら、そうだと言ってしまうことはその意味かもしれません。しかし、ストレスの発散とか、スリルを味わいたくてという言葉の意味は、例えばテーマパークのアトラクションに乗るようなプラスの気持ちというわけではないのです。ゼロからプラスになることを目的にしているのではなく、マイナスからゼロに近づきたいというような感覚なのだろうと思います。


万引きの心理を作る事情

万引きの犯罪環境は上記のように複雑です。
共通して言えることは、その人が、心理的な悩みや身体的な疲労が継続しているということと、自分一人で解決しなければならないと孤立感を抱いていることにあるようです。
一人で介護のためにほぼ毎日、施設と自宅を移動し、自宅では膨大な選択をしなければならなず、いつ終わるかわからない状況が続いたケース。
夫の葬儀の直後、一人暮らしをしているところに、夫に金を貸しているという人が現れ、膨大な金額を請求されたケース。
再婚して幸せに暮らしているが、連れてきた子どもたちにいろいろと不憫な思いをさせているのではないかという後ろめたさを一人で抱いていて、そこから抜け出せなくなったケース。このパターンはレアケースではなく、女性はこのような思考パターンを持つ場合がありそうです。
高齢者の万引きの場合は、孤立がテーマになりそうです。
一人で問題を抱えて、解決ができない、何とか解決したという焦りが、思考能力を消耗させるようです。
精神薬の服用が、何かのはずみで自由意思能力を奪い、他人のものという観念を奪うケースもありました。精神薬の副作用と意思能力無き犯罪についてはまたの機会にお話ししましょう。

万引きの心理を解消する手段


このように万引きの心理を作る事情は、かなり深いところにあり、日常生活のわずかの隙間の中で突如現れてくるものです。弁護士は治療をしませんし、してはいけません。私は、ある程度の事情が判明した後は、臨床心理士や場合によってはカウンセリングをしていただける精神科医につなぐようにしています。
実際に例えば保釈中にカウンセリングを受けた被告人の方にお話を聞くと、カウンセリングを受けてよかった、もっと早くいけばよかったということがきかれます。腹にたまっていたどす黒いどろどろを全部吐き出したようなすがすがしさがあるというのです。
再度の執行猶予の判決が生まれる時はこう言うときです。
それにはまず、万引きの原因を探り当てなければなりません。面談で探り出すことは危険があるので、客観的事情を第一に考えなければなりません。この場合、捜査を担当する警察官が、ストレス発散ということで納得せず、預貯金の状態とか必要な証拠集をきちんとしてもらえば、糸口が見えてくるものです。警察官のファインプレーに助けられたことが何度もあります。
カウンセリングが有効であることは間違いありませんが、特効薬は仲間の存在、家族の存在です。一人暮らしがやむを得ないとしても、例えば週に1度は親の元に誰かが立ち寄れたり、泊まったりしながら、孤立感を解消していくことが何よりだと思います。
人間は、一人では生きられないということは、こういうところからも考えなければならないことだとつくづく考えさせられるところです。


万引きは根深い原因があります。簡単に考えずにきちんと向き合うことが大切だと思います。

自首は、自分にとっても利益であるのに、なぜ自首ができないのか。プロスペクト理論。万引き、業務上横領等        <なぜ人間は自首しにくいのか> <逃げることの苦しさ> <本来損失をどう考えなければならないか> <自首の方法> <逮捕・裁判になることもあなたの利益かもしれない>

自首は、自分にとっても利益であるのに、なぜ自首ができないのか。プロスペクト理論。万引き、業務上横領等。

万引きや会社のお金に手を出してしまったということの相談が私の事務所には比較的多く来ています。
相談の内容で多いのは、逮捕されるだろうか、裁判になるだろうか、裁判になったら刑務所に行くのだろうかということです。自首をしようかと考えている人が、自首をしたらどんな悪いことが起きるかということが気になることはよく理解できます。でも、そんなことを考えていることはとても辛いことだと思います。自首しないことで、いつまでも自分は「逃げている」実際に刑務所に行くよりも辛いことだという場合もありますし、実際にはあまりすぐには刑務所にはいきません。
どうして自首できないかということを考え、自首することのメリットなどもお話ししていきましょう。

<なぜ人間は自首しにくいのか>

なぜ自首できないのかについて、人間一般の属性から考えていきましょう。最近ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン博士のプロスペクト理論を使います。
プロスペクト理論とは、「人間は、利益を追求するときは、ギャンブル的選択をすれば大きな利益を獲得できる場合があるとしても、小さい利益でも確実に利益を獲得する選択をする。しかし、逆に損害を回避しようとするときは、損害をできるだけ少なくする方法があるならば、成功確率の低いギャンブル的な方法を選択するという傾向がある。」という理論です。もう少し正確には、
プロスペクト理論の「原理」と対人関係への応用 ひき逃げの心理等
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2018-09-24

カーネマン先生は経済学者ではなく、認知心理学者です。認知心理学のコンセンサスとして、人間の心は今から約200万年前の狩猟採集時代に形成されたという理論があります。このプロスペクト理論も、200万年前に形成された心だと考えればわかりやすいです。当時の損失とは、生命身体の危険だということになります。命の危機にある場合は、可能性がある以上、命を守る闘争や逃走をしたことでしょう。トカゲではないので、腕を犠牲にして、腕を与えて、そのすきに逃げるなんてことは人間の心ではないわけです。
可能性がある以上、命を守ろうとすることはわかりやすいです。しかし、その後、人間の関わる人数が多くなり、群れも複数の群れに多元的にかかわることになりましたので、「損失」の意味も複雑になっていきました。経済学的な損失は比較的わかりやすいと思います。

では万引きや業務上横領の場合の「損失」とはなにでしょうか。
それは、自分自身です。自分自身と言っても、体のことではなく、立場というとわかりやすいかもしれません。家族の中での自分の立場、職場での自分の立場等です。「自分」と言っても、一人で生きているわけでなく、家族や会社や友人の中で尊重されて、かけがえのない存在として生きていきたいと心は思っています。家族、友人、職場での自分の扱われ方が、自分の心を和ませたり、苦しめたり、警戒させたり、おびえたりするわけです。
もし、万引きが発覚して警察に逮捕されたら、家族の中での自分の評価が変わる、職場は解雇されるかもしれないし、友人に顔向けできなくなる。という気持が先行することは当たり前です。
この自分、あるいは、自分の立場が悪くなるという「損失」、これを回避したいと考えるのが人間なのです。命を守ろうとする意識の構造と実によく似ています。
だから、万引きしても、会社のお金を懐に入れても、自分の立場が守られたいという気持になってしまっているのです。

<逃げることの苦しさ>
人間は(本当は人間限らず動物全般)、逃げると不安になります。本来は危険があるから逃げるのですが、逃げているうちに、危険が大きく感じられてきます。そうして、逃げ切るまで「まだ危ない」という悲観的思考が生まれてしまいます。
これは逃げ切るための脳の生理的変化です。もう大丈夫と言う気持を持ってしまうと、本当はまだ危ないのに逃げるのをやめてしまいます。だから逃げ切るためにはまだ危ないと考える傾向の方が有利です。また、逃げるのが苦しくなると、それほど大した危険はないのではないか、逃げるのをやめたいと思いたくなるのですが、どんどん不安が大きくなれば、逃げ続けようということになります。逃げるのに大変都合のよい脳の変化です。
このため、「逃げている」と、どんどん不安が大きくなり、実際想定される以上の心配が起きてしまいます。
特に万引きの場合、逮捕されるということは極端な常習者や現行犯以外はあまりないのですが、窃盗ですから逮捕されて何日も出てこられないのではないか、家族や同僚にも知られてしまい、自分はだれからも相手にされないのではないか、職場を解雇されて、就職ができなくなるのではないか等、どんどん膨らんでいきます。
逃げ続けることの方が苦しいかもしれないということはこういうことです。

<本来損失をどう考えなければならないか>

自首できない人は、自分の損失について、他者からの自分に対する評価に限定して考えています。家族や職場の同僚が分からなければ、それでよいのではないかということですね。しかし、本当の損失は、自分が罪のない人に迷惑をかけたというところにあります。
第1に、損失は万引きや業務上横領をした段階で確定的に発生しているということです。不安を感じる自分は、本当の損失に気が付いています。だから、損失を自分を傷つけることにとどめ、「それ以上損失を拡大しない」という方針転換こそ必要なことです。ここでいう拡大損失とは、「他人に迷惑をかけたのに、責任を取らないで逃げ続ける自分」という認識です。これが第2の考えるべきことです。もちろん逃げ続ける苦しさということも損失であるわけです。
第3に、隠し続けていて数か月して発覚すると、さらに罪が重くなり、立場も悪くなるということです。特に大型店舗の場合は、客から分からないように大型モニターが死角なく設置されており、録画もされています。店が警察に通報するかしないかは、単なる偶然です。しかし、警察も忙しいので、事件処理には優先順序があるため、あなたの家に電話が来るまでには数か月がかかる場合があります。数か月自首もしないで逃げ続けてきたということになると、印象が悪くなります。もしかしたら、その間に別の店舗でも万引きしてしまうかもしれません。その間の何らかの店や会社の損失もあなたが犯人ではないかと思われやすくもなります。

<本来は家族などに打ち明けるべきだと思うこと>

万引きについては、なかなかその心理的構造が知られていません。高校生の万引きではなく大人の万引きは、根本的な原因があることが多いのです。私のホームページの、「刑事事件、自首支援」のページの「万引きという犯罪の弁護」ということをご参照ください。常習化しそうな場合は、一人で考えていたのではなかなかやめることができません。きちんと向き合うためにも、あなたの反省を補助してくれる人がいることが望ましいです。この記事を一緒に読んでもらいながら、一緒に万引きをやめるということを考えてほしいと思います。

<自首の方法>
被害弁償と謝罪の費用を足して、被害店舗に正直に言いに行くことになります。謝罪の金額を店が受け取らないことが多いようです。とにかく被害額、代金額を持っていくことが肝要です。
そして、何月何日何時ごろ、どこで、何をとったのか、どうやってとったのかをきちんと伝えることが大切です。そして、自分の住所、連絡先を運転免許などを示しながらきちんと伝えること。これは、あなたが逃げ隠れしないということを被害者に告げたことになります。警察に通報していただいてよいですということをきちんと伝えることが、逆に警察通報をしなかったり、通報されても逮捕までいかない効果があるのです。警察に通報されることを恐れて、通報されないためにということで、逆に金品などを脅し取られないための防波堤にもなります。潔い態度こそ一番強い態度なのです。
誰かに一緒に行ってもらうこともよいかもしれません。一緒に謝るのは嫌でも、店の前で待っていてもらうことも心強いものです。店の前で誰かに電話をして、励ましてもらうことも有効です。被害品をまだ持っている場合は、持参することもよいでしょう。値札が付いていれば、さらに良いです。食料品は廃棄するしかないですが、値札が残っていればそれを洗って持っていくということもよいかもしれません。
また、いつ、どのくらい盗んだのかわからない場合は、正直に言った方が良いと思います。とにかく洗いざらい告白するという態度が良いと思います。

心構えとしては、自分にいろいろと落ち着いて考えることができなくなってしまったという事情はあるにしても、店や会社に責任はないということを意識しましょう。また、商品がなくなったり、勘定が合わなくなって、点検をさせられたり、店長のせいにされたり、あなたに代わって弁償させられた人がいるかもしれないということを意識しましょう。それが法律的に許されることかどうかではなく、あなたが具体的に、店ではなく、人に迷惑をかけている、その迷惑の内容とは何だろうかということを考えることが大切です。抽象的に考えるのではなく、困っている様子、表情などをしっかり想像することが大切です。その人に謝りに行くわけです。

<・・・>
けっこう自首をすると、大型店の内規に反して、寛容な対応をしてくれる人がいます。あまり、詳細にお話しすると甘く考える人も出てきてしまいますので、具体的にはお話ししませんが、逆にお店の人から励まされたという人もいました。

<逮捕・裁判になることもあなたの利益かもしれない>
けっこう、逮捕されてほっとしたという人が多くいます。とりあえず逃げる苦しさから解放されるからです。逮捕されなければ、もっと犯罪を重ねたかもしれないし、発覚しそうになって小競り合いとなれば、窃盗が強盗になることもあります。そうなると裁判員裁判です。
ただし、万引きに関して言えば、ただ逮捕されただけでは、やめられない人も多いようです。刑務所に行ってもです。きちんと反省をすることがどうしても必要です。そのあたりも先ほどの、「万引きという犯罪を弁護する」の記事を参照ください。
令和元年6月24日

 

 


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