確かな再出発に力点を置く私の刑事弁護、 犯罪だとわかっていながら実行する理由の研究から                                                    土井法律事務所 本文へジャンプ
目次

1 犯罪は身近なものである 誤解されやすい犯罪実行のメカニズム

2 刑事弁護とは被疑者被告人の再出発が目的であると考える。今後の生き方を一緒に考えること

3 本当の犯罪の原因を考えて、原因を除去し、幸せな人生を歩むために本人と一緒に考える活動


1 犯罪は身近なものである 誤解されやすい犯罪実行のメカニズム

犯罪に関しての誤解としては、皆さん言葉にこそ出されませんが、生まれつき犯罪をする人と、一般の人と二種類の人がいるという感覚を持っている人が案外多いものです。

しかし、これまでの30年の刑事弁護の経験からすると、犯罪をしてしまう圧倒的多数の人は、普通のいわゆる一般の方だということが実感です。特別な発想や特別な思考パターンがあるから犯罪をするというのは誤解です。

 専門的な話をすれば、我々は、常に自分の行動を意識して行っているわけではなく、無意識にパターンに従って行動を開始してしまうということが実際だと言います。ただ、なんとなく行動をした後で、それは自分が意識してそう行動したのだと後付けで説明をしていることが多いのだそうです。


 犯罪をする場合も、この無意識の行動決定で行っている場合が多いです。犯罪を起こしてから自分のしでかしたことに気が付いて呆然とすることは、職業的犯罪を除いた場合の通常の犯罪形態のようです。だから、犯罪であることを知らないで実行してしまったということは、実際はほとんどありません。どうして犯罪と知っていながら罪を犯したのかという視点で弁護をしなければ再犯を防止することは難しいでしょう

 但し、通常の精神状態、通常の人間関係であれば、そもそも犯罪を行うという無意識の選択肢は現れません。欲しいものがあるからと言って盗むという選択肢はそもそも起きません。買うお金が無ければ通常諦めるわけです。なぜ犯罪の選択肢が現れたのか、なぜ犯罪の選択肢が消えないまま実行してしまったのかというところに、本当の原因があるのです。

 

 ここを考えないで弁護をして、その時多少の減刑があったとしても、将来同じことを繰り返してしまえば、何の意味もなくなるわけです。とにかく今の裁判を軽い判決にしようということだけを考えて弁護してしまうと、将来の犯罪を防ぐ対策がありませんから、また同じ犯罪を繰り返してしまう危険があるということになります。

 

 万引きや無銭飲食、道路交通法違反事件(無免許、酒気帯び、速度制限違反等)がその典型例です。


 犯罪は普通の人間がしてしまう社会病理です。普通の人間がなぜ犯罪をすることを思いとどまることができなかったかということから刑事弁護は出発しなければならないと私は考えています。


2 刑事弁護とは被疑者被告人の再出発が目的であると考える。今後の生き方を一緒に考えること

 以上お話ししてきた通り、私の刑事弁護は刑を軽くするということはもちろん目標となりますが、それ以上に犯罪を繰り返さないという目標があります。むしろ、一度の誤りによって、自分を取り巻く問題に気が付いて、それを改善して明るく穏やかな生活を送るため、つまり幸せになるための刑事弁護が目標です。犯罪をしてしまって、刑事処分を受けることが繰り返されてはとても幸せになれません。

 弁護士はその人によって、仕事に対する取り組み方はいろいろな考えを持っています。私の考えはこうです。そうやって長年弁護をしてきました。

 何度も無銭飲食を繰り返して、人生の3分の2の時間を刑務所で過ごしていた人を弁護したことがあります。無銭飲食の弁償をするために、飲食代金の倍の交通費をかけて被害店舗に行ったことも良い思い出です。その人は、結局、幼いときに生き別れた母親を探して歩き、お金が尽きると無銭飲食をしていたようでした。大変な苦労をしてきたという生い立ちもありました。結局、自分は母親に捨てられ、天涯孤独の人間なのかという根源的な不安があったことが根本原因かもしれませんでした。

 


3 本当の犯罪の原因を考えて、原因を除去し、幸せな人生を歩むために本人と一緒に考える活動

 犯罪の無意識の選択肢が起きて、消えない事情としては、孤立、人間関係の不具合、自分の自由が無いと感じることによる息苦しさ、不合理に自分が苦しめられているという不条理感等があるようです。その人の視点の高さで考えなければ見つけ出すことができません。

 

 このような原因を一緒に考えて、原因を解消して、犯罪の行動決定をしないようにすることが第一です。また、犯罪をする際に、どのポイントで何を意識するべきかということについてシミュレーションを重ねて、将来の無意識の行動を意識化する工夫も有効だと思います。そして、それらについて具体的に、絵に描けるように、一つ一つ方法論を確立することです。一番ダメな反省は、心が弱かったとか、他人に流されやすかったという反省です。ではどうしたらよいか具体的な方法論が見えてこないため、結局対策が立てられないからです。

 

 そうして、むしろ犯罪直前よりも、ストレスのない、穏やかな生活を始めることのようにすることが弁護の目標です。失敗しても、人間はやり直しができるし、自分の被害者に対して謝罪の心を強く持ち続けることによっても、犯罪の前よりも心安らかな状態になることがよくあります。依頼者の中では、「自分が今回逮捕されて、弁護をしていただいたおかげで、やり直すことができそうだ。逮捕されなかった場合よりも、より充実した人生を歩むことができそうな気がする。逮捕されてよかった。」とおっしゃった言葉は忘れられません。

 

 先ほどの無銭飲食の常習者の方の弁護の最後に、あなたはご両親から、他人から親切にされる不思議な力を授かって生まれてきたし、あなたの音楽好きも人生を幸せにするご両親からの贈り物だと思うと余計なことを言いました。そうしたら、その被告人は、裁判長から「裁判の最後に述べておくことはないか」と尋ねられた時に、「母親ももう歳なので生きていないと思います。もう、母親を探すことだけをすることはやめようと思います。私が親からもらったものは、先生がお話ししていただいたほかにこの丈夫な体もあります。母親は私の中に確かにいるのだと思います。今度刑務所から出てくるときは、親孝行をすると思って、自分を大切にしようと思います。そのためには、犯罪で人様に迷惑をかけない人生を歩むことが必要だと思いました。」と言ってくださいました。彼は私を見てにこっとしていただきましたが、私は心が通じた嬉しさで涙を止めることができませんでした。


詳しいご説明 私のブログから

「行動決定の原理 2 犯罪の行動決定と予防に効果がある対策」