情状弁護論 (概説)
情状弁護で弁護士は何を主張するのか
有罪の被告人を弁護する場合を情状弁護と言います。無罪だという主張は無罪弁論です。私は、情状弁護が弁護人の活動の基本、屋台骨を形成するものであると常々感じています。
私が、被疑者や被告人の方に最初にあったときから、反省をしてもらうことをお話します。最終的には裁判の時にお話してもらうことなのですが、できるだけ早く問題提起をすることで、できるだけ深く考えてほしいからです。
反省というと、後ろめたいとか、落ち込んでいるとか、感情めいたことを述べるように考えている人もいますが、刑事裁判における反省は特別の意味です。
3つのことを考えてくださいとお話します。
1 自分の行為によって、誰にどのような迷惑をかけたか。あなたのお話を聞いて絵を描けるように具体的にお話してもらいます。想像ですから、本当は違っていてもかまいません。
2 そのように人に迷惑をかける行動をした原因をお話してもらいます。その時止めることができなかった原因として考えてもよいです。この点が今回のお話のメインです。後でまた詳しく説明します。
3 他人に迷惑をかけた原因を除去して、今後同じような間違いを起こさないために、どのような生活をしていくつもりですか。これも絵に描けるように具体的に、自分の言葉でお話しできるようにしてもらいます。
人が犯罪を実行するのは、それなりの理由があります。それなりの葛藤もあるはずです。やってはいけないことをやってしまう原因、犯罪を行うことができた原因という表現にするとわかりやすいかも知れません。
この犯罪の原因を除去ないし軽減し、再び犯罪を行うことをさせないことが刑事裁判の役割だと考えています。その意味では、刑事弁護はもっとも有効な特別予防となりうるのだと思います。
この意味で、再犯の予防が目的ですから、先ず、違法性という言葉を誰にどのような迷惑をかけたかという問いに置き換えて、自分が行った犯罪が実質的に悪いことだということを感情を含めて納得してもらう作業が第1の反省になります。悪いことだと思わなければ、原因の考察も弱くなりますし、対策もいい加減になります。
二つ目の原因論は、具体的な予防につなげるための考察です。網羅的でないとしても、具体的に考えてもらわなければなりません。一番ダメなのが、心が弱かったという原因論です。腹筋ではないので、心を鍛えることはできません。それよりも、夜に友達と集まったことが原因だという方が、夜は友達と会わないという具体的な対策につながりますので、まだ良いということになります。
最後の対策論は、具体的な対策を話してもらいます。それを実行しなければならないので、心構えではなく、具体的な行動計画だということになります。
犯罪を実行した原因、犯罪を途中でやめることができなかった原因の分析が、裁判所での反省のメインの部分です。
ここは私の人間観なのですが、かいつまんで言えば、人間は、法律がなくても他人に害悪を与えない動物だということです。犯罪をしないのは、刑罰を恐れてではなく、他人に迷惑をかけてはいけないと思っているからだと思うのです。特に、社会によって守られているという安心感がある場合は、社会を敵に回すということはしたくないわけです。「交通ルール、守るあなたが守られる。」という標語は、私の主張にピッタリ当てはまると思っています。
ところが何らかの理由で、社会から守られていないとと感じると、社会のルールや他人への配慮ができなくなる。犯罪をすることの抵抗が小さくなってしまうのです。わかりやすいのが少年事件です。社会から孤立させられても、不良仲間の中に居場所を見つけてしまうと、仲間のための行動を第1に考えるようになります。社会から見れば、犯罪である対抗グループとのけんか、傷害事件も、仲間を守る行動だということになってしまいます。それが悪いことだからやってはいけないとは思いにくくなるわけです。
また、濡れ衣を着せられて会社を解雇された人が、だんだん社会に背を向けるようになるということもありました。
さらには、病的に犯行を繰り返す人の場合、冷静に物事を考えられないような、常に焦燥感を抱き続けている対人関係上の事情や考えの歪みがありました。また、他人の苦しみに共感できない事情がどこにあるかという観点からも犯罪環境を考えるアプローチも有効な場合があります。
このように犯罪の抵抗を小さくする事情、特にその人の生活環境を「犯罪環境」と呼んでいます。
犯罪環境から抜け出すことが、再び犯罪を行わなくなるための有効な手段であることはお分かりいただいたと思います。
犯罪環境がどこにあるかを弁護士は被告人と一緒に考えることになります。3つの反省もそうですが、最終的な正解はわかりません。本人が犯罪を止めることで初めて分かるわけです。弁護士の仕事は、被告人と一緒に考えること、反省を手伝うことということになると思います。
犯罪環境を突き止めることは、このように二度と犯罪を実行しないことの有効な手段ですが、
もう一つの犯罪環境の使い方があります。犯罪環境に陥ったのは、本当に被告人の自己責任で完結してよいのかということです。それが他者の悪意によるものであれば、被告人一人に犯罪の責任を負わせることが故区である場合が出てきます。まして、国家の作為不作為によって、被告人が犯罪環境に陥ったのであれば、国家を代表して被告人を裁く裁判所が、国の責任を考慮しなくて良いのかという問題になると思います。
犯罪の結果というのはあまり後に変化しません。しかし、被告人の再犯可能性が低下するということは犯罪実行から判決までの間に変化します。この点を説得力をもって、被告人の言葉で語ることができれば、実生活からの隔離の期間を定める量刑に影響力があることはむしろ当然のことです。
この理論は、私の頭の中で作った理論というよりも、これまでの刑事弁護での判決の量刑の理由を積み重ねて分析した結果なのです。どちらかというと裁判官の方々と一緒に作ったり論だと考えています。
ただ、量刑が一番の関心ごとであることは間違いないのですが、量刑のことばかり考えると、どうしても反省が形ばかりのものになってしまいます。量刑のことを忘れて、二度と刑事裁判を受けないような安心した生活を送るためにはどうしたら良いのかという発想になって刑事裁判における反省をしてもらうことで、良い結果はついてくるという関係になります。
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